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あとがき(『二つの庭』)
あとがき(『ふたつのにわ』)
作品ID4139
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十八巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日
初出「二つの庭」新潮文庫、新潮社、1949(昭和24)年7月
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2004-04-19 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「伸子」の続篇をかきたい希望は、久しい間作者の心のうちにたくわえられていた。
 一九三〇年の暮にモスク[#挿絵]から帰って、三一年のはじめプロレタリア文学運動に参加した当時の作者の心理は、自分にとって古典である「伸子」を、過去の作品としてうしろへきつく蹴り去ることで、それを一つの跳躍台として、より急速な、うしろをふりかえることない前進をめざす状態だった。
 一九三二年の春から、うちつづく検挙と投獄がはじまった。その期間に作者はしばしば一人の人間、女としての自分の人生について考えずにいられなかった。人間の生活が現在にあるよりももっと条理にかなった運営の方法をもち、互に理解しあえる智慧とその発露を可能にする社会の方がより人間らしく幸福だという判断、あこがれに、何の邪悪な要素があるだろう。よりひろやかで、充実した人間性を求めるということのために、権力は自由を奪い、人間檻のなかにうちこんで、時間に関する観念や自分のいる位置についての観念を全く失わさせ、番号でよんで、法律でさばくという状態は、野蛮であり、資本主義の権力の非理性さである。一人の人間が歴史に目ざめるということ、歴史の現実そのものが一人の人間を社会主義への展望に成長させてゆく過程はヒューマニティそのものの問題である。思想検事が「ここにおいて被告はマルクス主義思想を抱懐するにいたり」と法廷でよみあげる告発の文書の文句とは、まるでちがった本質と道ゆきとをもつことである。
「伸子」の続篇を書きたいと思いはじめたのは、この時分からのことである。しかし、この願いは一九四五年の八月十五日が来るまで実現しなかった。「伸子」以後の伸子がめぐり合った現実は、一家庭内の紛糾だけではなかったし、恋愛と結婚に主題をおいた事件の連続だけでもなかった。一九二七・八年からあとの日本の社会は、戦争強行と人権剥奪へ向って人民生活が坂おとしにあった時期であり、そこに生じた激しい摩擦、抵抗、敗北と勝利の錯綜こそ、「伸子」続篇の主題であった。そういう主題の本質そのものが、当時の社会状態では表現不可能であった。
「おもかげ」「ひろば」そのほか一・二篇の未完の小説は、作者が、伸子の続篇をかきたがって試みた、せつなくて短い羽ばたきである。
「二つの庭」で伸子は二十七歳になっている。伸子は、社会認識の黎明にたっている。その客観のうすら明りのなかに、何とたくさんの激情の浪費が彼女の周囲に渦巻き、矛盾や独断がてんでんばらばらにそれみずからを主張しながら、伸子の生活にぶつかり、またそのなかから湧きだして来ていることだろう。
「伸子」で終った一巡の季節は、「二つの庭」で新しくめぐり来た一つの季節としての情景を展開している。そこには、いく種類かの愛と憎しみと混乱、哀愁と憐憫がある。そのどれもは、伸子の存在にかかわらず、それとしての必然に立って発生し、葛藤し、社会そ…

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