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畜生道
ちくしょうどう |
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作品ID | 4146 |
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著者 | 平出 修 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 平出修集」 春秋社 1965(昭和40)年6月15日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 松永正敏 |
公開 / 更新 | 2003-06-23 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
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十二月も中ばすぎた頃であつた。俺がやつと寒い寝台から出たと云ふのに、もう電話で裁判所から催促だ。法廷が開けますから、すぐいらつして下さいと云ふのだ。俺が行かない間は、共同弁護人はみんな手を空しくして待つて居る。俺をさしおいて審理に取りかかるやうな事は決して無い。俺を先輩だとして敬意を表してくれる好意はいつでも感謝して居るんだが、それで又いつでも遅刻する。忙しさうな真似をしてわざと遅れるのではないが、俺は朝が遅い。ただそれ丈である。其日も急き立てられて車を命じた。桜田門へ来ると夥しい巡査だ。赤い着ものの憲兵も見える。霜枯れのした柳の並木は剣光帽影で取囲まれて居る。裁判所の門へはいると、一層警戒が厳しい。出入を一々誰何する。俺は何の気なしに車を下りて式台の石段を上つた。警部がつかつかやつて来て、「誰方です」と問うた。流石に敬語を使つた。「高津だ。」俺はかう云ひすてて扉の内へ歩を運んだ。俺の名前は警部の耳にも響いて居たと見え、何も云はないで俺の歩むが儘に任せてくれた。かう云ふときになると俺は常に損をする。俺は背が低い。顔は一見頑丈だが、下膨れの為に愛嬌はあつても、威厳がない。寒さうに肩をすぼめてあの宏壮な建物の入口の石段を踏んだとき、之が高津暢であるとは誰れも思ふまい。
「この人が高津か。」警部は俺の声名と風采とが余りに懸隔があると思つたらしかつた。
大審院の控所はなかなかの混雑である。中老、壮年、年少、各階級の弁護士が十七、八人、青木が所謂「神仏混同の法被をつけて、馬の毛の冠をのつけて」入廷の支度をして居る。新聞記者らしい人や、刑事巡査らしいものもごたごた出入をして居る。田村が廷丁と何か云ひ合つてる。
「海城さんが見えるまで待ち玉へ。」田村が甲高な声を尖らして居る。
「もう十時半でせう。昨日裁判長から九時にそろつて下さいと云はれたとき、海城さんは毎日八時半に弁護人は一同打揃つて居りますなどと、真面目に云つて入らしつたぢやありませんか」と廷丁が理責を云ふ。
「今朝用事が出来れば昨日の通りには行かんぢやないか。」
田村はまじめに海城の来るのを待つてゐるんだと思ふと俺は可笑しかつた。海城のやつも俺流だ。あの先生はともすると俺よりもづぼらかもしれぬ。「八時半にはみんな揃つて居ます」などと云ひつぱなしにするあたりはあいつの一流だ。
俺は給仕を呼んだ。「どうした。」と法廷の模様をきいた。あんまりに遅いので外の事件を先にして審理がひらけたと云ふことだ。それなら俺を急がすこともないではないかと給仕を叱つた。叱つた方が無理であるとはすぐ思ひついたが、取消をするのも面倒くさいからその儘にしておいた。
幸徳某外二十幾名が不軌を計つたと伝へられ、やがてそれが検挙となつて裁判沙汰に行はれた。こんなにものものしい警戒も混雑も此裁判事件の公判が[#「公判が」は底本では「公判か」]開…