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貧乏
びんぼう |
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作品ID | 4154 |
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著者 | 幸田 露伴 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「ちくま日本文学全集 幸田露伴」 筑摩書房 1992(平成4)年3月20日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2002-12-21 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 17 ページ(500字/頁で計算) |
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その一
「アア詰らねえ、こう何もかもぐりはまになった日にゃあ、おれほどのものでもどうもならねえッ。いめえましい、酒でも喫ってやれか。オイ、おとま、一升ばかり取って来な。コウ[#挿絵]、もう煮奴も悪くねえ時候だ、刷毛ついでに豆腐でもたんと買え、田圃の朝というつもりで堪忍をしておいてやらあ。ナンデエ、そんな面あすることはねえ、女ッ振が下がらあな。
「おふざけでないよ、寝ているかとおもえば眼が覚めていて、出しぬけに床ん中からお酒を買えたあ何の事たえ。そして何時だと思っておいでだ、もう九時だよ、日があたってるのに寝ているものがあるもんかね。チョッ不景気な、病人くさいよ、眼がさめたら飛び起きるがいいわさ。ヨウ、起きておしまいてえば。
「厭あだあ、母ちゃん、お眼覚が無いじゃあ坊は厭あだあ。アハハハハ。
「ツ、いい虫だっちゃあない、呆れっちまうよ。さあさあお起ッたらお起きナ、起きないと転がし出すよ。
と夜具を奪りにかかる女房は、身幹の少し高過ぎると、眼の廻りの薄黒く顔の色一体に冴えぬとは難なれど、面長にて眼鼻立あしからず、粧り立てなば粋に見ゆべき三十前のまんざらでなき女なり。
今まで機嫌よかりし亭主は忽然として腹立声に、
「よせエ、この阿魔あ、おれが勝手だい。
と云いながら裾の方に立寄れる女を蹴つけんと、掻巻ながらに足をばたばたさす。女房は驚きてソッとそのまま立離れながら、
「オヤおっかない狂人だ。
と別に腹も立てず、少し物を考う。
「あたりめえよ、狂人にでもならなくって詰るもんか。アハハハハ、銭が無い時あ狂人が洒落てらあナ。
「お銭が有ったらエ。
「フン、有情漢よ、オイ悪かあ無かったろう。
「いやだネ知らないよ。
「コン畜生め、惚れやがった癖に、フフフフフ。
「お前少しどうかおしかえ、変だよ。
「何が。
「調子が。
「飛んだお師匠様だ、笑わせやがる。ハハハハ、まあ、いいから買って来な、一人飲みあしめえし。
「だって、無いものを。
「何だと。
「貸はしないし、ちっとも無いんだものを。
「智慧がか。
「いいえさ。
「べらぼうめえ、無えものは無えやナ、おれの脱穀を持って行きゃ五六十銭は遣すだろう。
「ホホホホ、いい気ぜんだよ、それでいつまでも潜っているのかい。
「ハハハハ、お手の筋だ。
「だって、後はどうするエ。一張羅を無くしては仕様がないじゃあないか、エ、後ですぐ困るじゃ無いか。
「案じなさんな、銭があらあ。
「妙だねえ、無いから帯や衣類を飲もうというのに、その後になって何が有るエ。
「しみッたれるなイ、裸百貫男一匹だ。
「ホホホホホ、大きな声をお出しでない、隣家の児が起きると内儀の内職の邪魔になるわネ。そんならいいよ買って来るから。
と女房は台所へ出て、まだ新しい味噌漉を手にし、外へ出でんとす。
「オイオイ此品でも持って行かねえでどうするつもりだ。
と呼びかけて亭主の…