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作品ID | 4168 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第十八巻」 新日本出版社 1981(昭和56)年5月30日 |
初出 | 「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社、1981(昭和56)年5月30日 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 磐余彦 |
公開 / 更新 | 2004-04-28 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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午後六時
窓硝子を透して、戸外の柔かい瑠璃色の夕空が見える。
朝は思いがけなく雪が降って、寒い日であった。
泰子は、チロチロと焔の揺れる、暖かい食堂のストーブの傍のディブァンに坐って、部屋の有様を眺めて居た。
中央の長卓子の処には、母親を中央に置いて弟と妹とが何か頻りに喋って居る。
「ね、おかあさま、酷いのよ。新らしい、ちゃんと作ってある畑をわざと滅茶滅茶に踏こくったり、ガワガワ樹の皮を剥いたりするんですもの、僕驚いちゃったや
「ああああ其那ことをする者はね、決して立派な子じゃあないよ
「此の水毒じゃあないのおかあさま、よ、此の水
卵色の着物を着た小さい妹は、一生懸命に兄から母親の注意を呼び戻そうとして、大きなコップに水が入ったのを差しあげ乍ら声をかけて居る。――
黙って此等の家庭的な光景を眺め乍ら、泰子は何とも云いようのない、ひっそりと寂しい心持が胸に湧上って来るのを感じた。
目の前にあるあらゆる顔、あらゆる家具は、彼女にとって皆馴染み深い、懐しいものばかりである。
丁度今頃、矢張り斯うやって同じディブァンの上に坐り乍ら、何度、斯様な賑やかな睦しい同胞共の様子を眺めて来ただろう。
けれども、今自分の胸に流れて居るような一抹の寂しさは、一度でも嘗て味ったことがあるだろうか。
泰子の良人は、四五日前から短い旅行に出て居た。独りっきりで淋しい彼女は、留守番を実家の書生に頼んで、此方へ寝泊りして居るのである。
処々に教鞭を取って、平日に纏った休日を持たない茂樹は、試験が済んで、新学期迄数日の暇が出来ると、早速、郷里に父親を訪問する事を思い立った。
老人は、もう七十歳に近い。近頃、健康が勝れないと云う稍々悲観した手紙を受取って居たので、三月には、二人でお訪ねしましょうと云う事が正月頃から懸案に成って居たのである。
「去年も今頃だったろう、あれは幾日位だったろうかな
少し暇のある夕飯後など、彼等は、小さい一閑張りの机の上に地図を拡げ乍ら話し合った。
「去年? 四月ですわ、十五六日頃じゃあなかったこと、ほら菜の花が真盛りだったじゃあありませんか
「……それじゃあ三月末じゃあまだ寒いだろうな、何にしろ随分時候は遅れて居るんだから
茂樹の故郷は、敦賀の近処であった。
「だって拘やしないわ。いいわね、久し振りで田舎へ行くのは。えーと、何処でしたっけか、先、忠一さんが被行ったって云う温泉、彼処へ行って見ましょうよ、ね、若しよかったらお父様もお連れして
「――出来たらね
泰子は、一年振りで、又北陸の田舎を見られる事を相当に楽しみにして居た。
けれども、三月が押しつまって、出立の日が近づくに従って、始めの息込みが無く成った。
「私、行った方がいいか、行かない方がいいか随分疑問よ、そうお思いにならなくて? 行き度いことは行きたいけれども……ほら、ね?…