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こえ
作品ID4180
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十八巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日
初出「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社、1981(昭和56)年5月30日
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2004-05-04 / 2014-09-18
長さの目安約 1 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 或、若い女が、真心をこめて一人の男を愛した。そして、結婚し、三年経った。けれども、或日その若い女は、
「ああ苦しい、苦しい! 可愛い人。私は貴方が可愛いのよ、だけれども苦しくて、息がつけない」
と、泣き乍ら、男の傍から逃出して仕舞った。
 逃げはしたが、女は他に恋した男があったのではない。彼女は、生れた親の家へ戻った。そして、黙って、二粒の涙をこぼし、頭を振り、やがて寂しく微笑んで縁側に坐った。
 朝眼を覚すと、一日中、月の出る夜になっても、女は、いつも同じ縁の柱によって居る。
 母親は不思議に思い、娘に
「お前、どうしていつも其処に居るの? 内へお入りな」
と云った。
 娘は、微笑した。然し、翌日も、その柱からは離れなかった。
 柱には、縦に深く一本割れ目がついて居た。女は、きっとその割け目に耳をおしつけて居た。(それを、母親は知らない。)彼女は、そうやって耳をつけ、柱の奥から、嘗て自分の恋をした、今も可愛い男の声を聴いて居たのだ。自分を抱いて名を呼ぶ声、向い合って坐り、朝や夜、種々の物語をした、その懐しい声を聞いて居たのだ。



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