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石鏃の思出話
せきぞくのおもいでばなし
作品ID42154
著者浜田 青陵
文字遣い旧字旧仮名
底本 「青陵随筆」 座右寶刊行會
1947(昭和22)年11月20日
初出「ドルメン」1935(昭和10)年6月
入力者鈴木厚司
校正者門田裕志
公開 / 更新2004-06-17 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 日本に於ける石器時代の遺物に關する、最も古い文獻上の所見が『續日本後記』に出てゐる仁明天皇の承和六年、出羽國田川郡海岸に現はれた石鏃の記事、次いでは『三代實録』や『文徳實録』にある石鏃である樣に、私自身の石器に關する一番昔しの思出もやはり石鏃である。思へば今から已に五十年にも近い前の事であるが、丁度私が七つ八つの頃、山形市の附屬小學校の二三年生であつたが、その時分子供等の間に、鑛物の標本を集めることが流行つて居て、私も其の熱心なコレクターの一人として其の標本箱の中には、水晶、方解石、菊面石、黄鐵鑛などゝ同列に、「矢の根石」といふのがあつた。それは勿論人工の石器といふ意味ではなく、自然物の一として取扱はれて居たのであつて、今思出しても有脚のものか、無脚のものかもハツキリしない。これは山形に近い千歳山の邊から出ると云ふので、友達と一緒に、一度拾ひに行くつもりをして居たが、それは遂に實現する機會もなかつたのは、今日でも殘念な氣がする。



 その後私は小學校を屡變へて、山形縣の米澤から、香川縣の丸龜、徳島から大阪へと轉々して、石器時代の遺跡が澤山ある東北地方から離れてしまつたので、前に集めた礦物標本中の矢の根石は、いつしか無くしてしまひ、石鏃の事も忘れてしまつた。處が明治三十年前後のことであるが、其の頃私達唯一の愛讀雜誌『少國民』の讀者通信欄に、神奈川縣の千葉幸喜次とか云ふ人が、自分はその地方で採集した石鏃を澤山持つてゐるから、郵劵を封入して申込めば送つてやるといふ文が載つてゐたので、矢の根石の矢も楯もたまらず、早速申込みをして一日千秋の思で待つて居つた處、大小三箇の石鏃が屆いた。その時の嬉しさ。千葉君の好意を胸に銘して、いつも鼻の油で磨きながら愛玩して居つた。その石鏃はたしか一つは長い柳葉形の鼠色のフリント、他は赤い色、白い色の石英の無脚形で、いまなほ私の匣底に、これのみは大學へも寄贈せずに、少年時代の記念として殘つてゐる筈であるが、今一寸探して見ても分からない。



 石器時代の遺跡を自ら踏査して石鏃を拾つたのは、河内の國府であつて、それは今から二十五年程前、京都の三高の生徒時代であつた。山崎直方先輩の書かれた古い『人類學雜誌』をわざわざ東京赤門前の、その頃あつた哲學書院といふ書店から送つて貰つて、それを手引きに國府へ行き、石鏃をはじめ石器をかなり澤山拾つたのは嬉しいことの限りであつた。それは今日京都の大學に收つてゐる。又その頃同窓の廣田道太郎君が貴船神社で、奧の院の御船石の附近から出る舟形石と云ふ御守を出すのを貰つて來た。それを見ると、全く柳葉形の石鏃なので、其後自分で貴船へ行き探しても見當らず、神社でもそんな事は知らぬと云ふのは、今に至るまで狐につまゝれた樣な話である。東京の大學へ行つてからは、明治三十五年の十月、水谷幼花氏と一緒に、品川權…

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