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家庭の人へ
かていのひとへ
作品ID42161
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第二巻」 岩波書店
1997(平成9)年1月9日
初出「家庭」1931(昭和6)年6月(風呂の寒暖計)、12月(こわいものの征服)
入力者Nana ohbe
校正者浅原庸子
公開 / 更新2005-04-12 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      風呂の寒暖計

 今からもう二十余年も昔の話であるが、ドイツに留学していたとき、あちらの婦人の日常生活に関係した理化学的知識が一般に日本の婦人よりも進んでいるということに気のついた事がしばしばあった。例えば下宿のおかみさんなどが、呼鈴や、その電池などの故障があったとき少しの故障なら、たいてい自分で直すのであった。当時はもちろん現在の日本でも、そういう下宿のお神さんはたぶん比較的に少ないであろうと思われる。室内電燈のスウィッチの、ちょっと開けてみれば分るような簡単な故障でも、たいてい電燈会社へ電話をかけて来てもらうのが普通であるらしい。
 些細なようなことで感心したのは、風呂を立ててもらうのに例えば四十一度にしてくれと頼めばちゃんと四十一度にしてくれる。四十二度にと云えば、そんなに熱くてもいいのかと驚きはするが、ちゃんと四十二度プラスマイナス〇・何度にしてくれるのである。もちろんこれは湯沸しの装置がうまく出来ているから、そういう温度の調節が誰にでも容易に出来るのであって、われわれの家の原始的な風呂桶などとは訳がちがうことは確かである。しかしそういう装置を使っているだけに、摂氏一度だけの高低が人間の感覚にいかなる程度の差違となって表われるかということが、かなり明瞭に意識されているようであった。
 今から数年前三越かどこかで、風呂の湯の温度を見るための寒暖計を見付けて買って来て、宅の女中にその使用法を授けてみたのであるが、これは結局失敗に終った。先ず初めは、浴槽の水を掻き廻さないで、水面二、三寸のところへ寒暖計の球をさしこんで、所定の温度に達した頃に報知して来るのだから、かき廻さないで飛び込めば上の方は適温だが、底の方はまだ水である。掻き交ぜれば、ぬるくてふるえ上がってしまう。またよくかき廻して丁度になっていても、一方で燃料が唸って燃え上がっているのでは這入っているうちにすぐに猛烈に熱くなって来るから工合が悪い。これらも少し科学的に頭を使ってやれば、燃料が燃え切った頃にだいたい丁度になるようにするくらいは、何でもない事であろうが、これは現在の状況では、要求する方が無理であろうと思って、とうとう断念してしまった。それから一年くらいはその寒暖計が風呂場のどこかの隅に所在なさそうにころがっていたようであったが、いつ無くなるともなく見えなくなってしまってそれっきり永久に消えてなくなってしまったのである。これは適者生存自然淘汰の原理によって、元来寒暖計などあるまじき原始人の風呂場にあった寒暖計が、当然に自然に消失したものであろう。
 チャムバーレンという人が云った皮肉な詞に「日本人に独自なものは風呂桶とポエトリーだけだ」というのがある。その風呂なるものが実にはなはだ科学的には不合理不経済に出来ているものである。その不合理不経済なところにポエトリーはあるが現代には…

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