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墓
はか |
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作品ID | 42167 |
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著者 | 正岡 子規 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆55 葬」 作品社 1987(昭和62)年5月25日 |
入力者 | 小林繁雄 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2003-09-19 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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○斯う生きて居たからとて面白い事も無いから、一寸死んで来られるなら一年間位地獄漫遊と出かけて、一周忌の祭の真中へヒヨコと帰つて来て地獄土産の演説などは甚だしやれてる訳だが、併し死にツきりの引導渡されツきりでは余り有難くないね。けれど有難くないの何のと贅沢をいつて見たところで、諸行無常老少不定といふので鬼が火の車引いて迎へに来りや今夜にも是非とも死なゝければならないヨ。明日の晩実は柳橋で御馳走になる約束があるのだが一日だけ日延してはくれまいかと願つて見たとて鬼の事だからまさか承知しまいナ。もつとも地獄の沙汰も金次第といふから犢鼻褌のカクシへおひねりを一つ投げこめば鬼の角も折れない事はあるまいが、生憎今は十銭の銀貨も無いヤ。無いとして見りヤうかとはして居られない。是非死ぬとなりヤ遺言もしたいし辞世の一つも残さなけりヤ外聞が悪いし……ヤア何だか次の間に大勢よつて騒いで居るナ。「ビヤウキキトク」なんていふ電報を掛けるとか何とかいつてゐるのだらう。ナニ耳のそばで誰やら話しゝかけるやうだ。何かいふ事ないか、いふ事無いでも無い、借金の事どうかお頼み申すヨ。それきりか、僕は饅頭が好きだから死んだら成るべく沢山盛つて供へてもらひたい。それは承知したが辞世は無いか、それサ辞世の歌一首詠まうと思つたが間に合はないから十七字に変へて見たが、矢張まだ五字出来ないのだが、五文字出来なけりヤ十二字でも善いぢやないか、言つて見たまへ、そんなら言つて見よか「屁をひつて尻をすぼめず」といふのだ、何か下五文字つけてくれ、笑つてちヤいけないヨ、それぢやネ萩の花と置いてはどうだ、それヤどういふ訳だ、どういふ訳も無いけれど外に置きやうは無しサ、今萩がさかりだから萩の花サ、そんな訳の分らぬのは困るヨ、ぢや君屁ひり虫といふのはどうだ、屁ひり虫は秋の季になつてるから、屁をひつて尻をすぼめず屁ひり虫か、そいつは余りつまらないぢやないか、つまらないたツて困つたナ、それぢヤこれではどうだ、屁をひつてすぼめぬ穴の芒かなサ、少しは善いやうだナ、少し善ければそれで我慢して置いて安楽に往生するサ、迷はずに往つてくれたまへ、迷つたら帰つて来るヨ……イヤに静かになつた。誰やらシク/\泣いてるやうだ。抹香の匂ひがしやアガラ。此匂ひは生きてる内から余り好きでも無かつたが死んで後も矢張善く無いヨ、何だか胸につまるやうで。胸につまるといへばからだが窮屈だね。こリヤ樒の葉でおれのからだを詰めたに違ひない。棺を詰めるのは花にしてくれといつて置くのを忘れたから今更仕方が無い。オヤ動き出したぞ。墓地へ行くのだナ。人の足音や車の軋る音で察するに会葬者は約百人、新聞流でいへば無慮三百人はあるだらう。先づおれの葬式として不足も言へまい。……アヽやう/\死に心地になつた。さつき柩を舁ぎ出された迄は覚えて居たが、其後は道々棺で揺られたのと寺で鐘太鼓で…