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死せる魂
しせるたましい
作品ID42217
副題02 または チチコフの遍歴 第一部 第二分冊
02 または チチコフのへんれき だいいちぶ だいにぶんさつ
原題MYORTVUIE DUSHI(МЕРТВЫЕ ДУШИ)
著者ゴーゴリ ニコライ
翻訳者平井 肇
文字遣い新字新仮名
底本 「死せる魂 中」 岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年2月15日
入力者米田
校正者坂本真一
公開 / 更新2016-10-01 / 2016-09-21
長さの目安約 310 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

第七章

 だらだらと退屈な長の道中のあいだ、寒さや、雪融や、泥濘や、寝ぼけ眼の宿場役人や、うるさい鈴の音や、馬車の修理や、啀みあいや、さては馭者だの、鍛冶屋だの、その他いろんな街道筋の破落戸どものためにさんざん悩まされた挙句、やっとのことで旅人の眼に、自分を出迎えにこちらへ近寄って来るような、懐かしい我が家の灯影がうつりだす――と、やがて彼の目前には見馴れた部屋々々が現われ、迎えに駈け出した人々の歓声がどっとあがり、子供たちがわいわい騒いで駈けまわる、次いで心もなごむような落着いた話に移るのであるが、それが又、旅の憂さをすっかり忘れさせるような熱い接吻でとぎれ勝ちになる――といった具合だったら、まったく申し分はない。そういう隠処のある世帯持は幸福だが、情けないのは独身者で!
 また作家にしても、あの惨めな現状で人に眼を蔽わしめるような、甚だ面白くない、退屈きわまる人物などはそっちのけにして、もっと卓越した人柄の持主を題材とし、日毎に移りゆく世相の大いなる淵瀬から、ただ少数の例外だけを選り出して、己が竪琴の高雅な調子を一度として変えたこともなければ、自分の立っている高所から、取るにも足らぬ哀れな文士仲間と同じレベルなどへは決して降ることもなく、地上のことなどには一切かまわず、常に世俗から遠く掛けはなれた、いとも高尚な物象に一心を打ちこむことの出来る人は幸福である。彼はそういうものの間で、さながら自分の家族にでも取りかこまれたように、恣に振舞っているが、その間にも彼の名声は遠く高く轟きわたるのだから、いよいよ以ってその素晴らしい運命が二重に羨ましい次第である。彼は身も心もとろけるような薫煙をたなびかせて人の眼を惑わし、世上の悲惨なものは押しかくし、美しい人間像だけを示して巧みに人心にとりいる。人々は挙って拍手を送りながら、勝ち誇った彼の戦車の後を追って駈けだしてゆく。彼は世界的の大詩人とあがめられて、あたかも他の群鳥を尻目に悠々と高く天翔ける鷲のように、他の群小詩人を睥睨しながら、泰然とおさまっている。その名声を聞いただけで、熱し易い若者の胸は感激に打ち顫え、万人の眼には随喜の涙がキラキラと光る……。彼に匹敵する者はない――彼は神だ! ところが四六時ちゅう眼前にころがっていても、無関心な人には一向眼につかない物象――つまり、我々の生活を取りまいている諸々の瑣事の人を顫えあがらせるような怖ろしい泥沼や、又ともすれば退屈で物悲しい浮世の旅にうようよと群がっている、冷淡で、とりとめのない、日常茶飯な性格の奥底をば遠慮会釈なく曝露し、仮借なき鋭利な鑿で、万人の眼にはっきり映るように、それを浮彫にして見せる作家――そういう作家の辿る運命は全然ちがう! 彼は大向うからの拍手喝采を期待することも出来なければ、自分が感動させた読者の随喜の涙や同感の歓びを見ることも出来ない。血…

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