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六月
ろくがつ
作品ID42289
著者相馬 泰三
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の文学 78 名作集(二)」 中央公論社
1970(昭和45)年8月5日
初出「早稲田文学」1913(大正2)年12月
入力者土屋隆
校正者林幸雄
公開 / 更新2004-06-16 / 2014-09-18
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 まあ、なんと言ったらいいだろう、そうだ、自分の身体がなんのこともなくついばらばらに壊れてゆくような気持であった。身を縮めて、一生懸命に抱きしめていても、いつか自分の力の方が敗けてゆくような――目が覚めた時、彼は自分がおびただしい悪寒に襲われてがたがた慄えているのを知った。なんだかそこいらが湿っぽく濡れている。からだのどこかが麻痺れて知覚がない。白い、濃淡のない、おっぴろがった電燈の光が、眼の玉を内部へ押し込めるように強く目に映じた。自分のいるところより一段高いところに、白い詰襟の制服をつけた警官が二三人卓に向って坐っているのがちらと目に入った。
(おや、ここは警察署だな)と彼は思った。すべてのものが静かに息を潜めて、そしてあたりの空気が元気なく疲れて冷え冷えしている様子が、夜のすでに深く更けていることを物語っていた。――すべてこれらのことが一瞬の閃きの間であった。思い設けないことに対する一種の驚愕が、今まで腰かけていたべンチの上から彼を弾き下ろした。身に巻きつけられてあった鼠色毛布のぼろきれがぱさぱさと身体を離れて床に落ちた。で、彼はまる裸になった。しかし彼はそんなことには頓着なく、よろよろとよろけながら一人の警官の卓の前に進んで行った、そして卓を叩いて叫んだ。
「警官、警官、私はどうしたというんです。私の身の上に一体何事が起ったのです」
 事によったら、それは署長であったかも知れない、そんな風に思われる五十格好の男であった。その男は思いがけないところを驚ろかされたので、
「うむ? あ?」と、ちょっとまごついて、今まで居睡りでもしていたらしい顔をあげた。痩せてげっそりと落ちた頬辺のあたりを指で軽く擦りながらシゲシゲと彼を眺めていたが、急に大きな声を出して笑い出した。そして横手の方にある大きな板の衝立のようなものの蔭へ向って、
「奴さん正気がついたらしいや、おい、△△君、あっちへ連れて行ってどこかへ寝せてやるといいよ」と叫んだ。
 年の若い、まだやっと二十二三になったかならないかの巡査が一人、佩剣を鳴らせながらガタガタと現われて来た。その若い男は、卓の男がまだ笑っているのを見ると、自分もにこにこしながら、
「気は確かかな。大変にのんだくれやがって、ざまあなかったぞ。そしてなんだ、貴様はもう少しで死ぬところだったぞ」
 彼は思わず、熱心に
「一体どうしたというんです?」と問い寄った。
「呆れ返った奴だ、あれがちっとも覚えがなけりゃ、あのまま死んだって覚えがないというものだ。――川へ落ち込んだのだ。一旦沈んでしばらく姿が見えなくなってしまってな、――署員総出という騒ぎだ」
「全く危険であった」と、そばにいた他の一人の警官が言った。
「野郎、寒がってぶるぶる慄えていやがる!」
 こんなことを言って、彼の丸裸を指差して笑っている連中もあった。
 彼の頭にはそれらしい…

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