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蛇性の婬
じゃせいのいん |
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作品ID | 42319 |
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副題 | 雷峰怪蹟 らいほうかいせき |
著者 | 田中 貢太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「怪奇・伝奇時代小説選集14 累物語 他十篇」 春陽文庫、春陽堂書店 2000(平成12)年11月20日 |
入力者 | Hiroshi_O |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2006-07-08 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 55 ページ(500字/頁で計算) |
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紀の国の三輪が崎に大宅竹助と云うものがあって、海郎どもあまた養い、鰭の広物、狭き物を尽して漁り、家豊に暮していたが、三人の小供があって、上の男の子は、父に代って家を治め、次は女の子で大和の方へ嫁入し、三番目は又男の子で、それは豊雄と云って物優しい生れであった。常に都風たる事を好んで、過活心がないので、家の者は学者か僧侶かにするつもりで、新宮の神奴安部弓麿の許へ通わしてあった。
それは九月の末のことであった。豊雄は例によって師匠の許へ往っていると、東南の空に雲が出て、雨が降って来た。そこで、豊雄は師匠の許で、傘を借りてかえったが、飛鳥神社の屋根が見えるようになってから、雨が大きくなって来たので、出入の海郎の家へ寄って雨の小降りになるのを待っていると、「この軒しばし恵ませ給え」と云って入って来た者があった。それは二十歳には未だ足りない美しい女と、十四五の稚児髷に結うた伴の少女とであった。女は那智へ往っての帰りだと云った。豊雄は女の美に打たれて借りて来た傘を貸してやった。女は新宮の辺に住む県の真女児と云うものであると云って、その傘をさして帰って往った。
豊雄はそのあとで、そこの主人の蓑笠を借りて家へ帰ったが、女の俤が忘られないので、そればかり考えているとその夜の夢に女の許へ往った。そこは門も家も大きく、蔀おろし簾垂れこめた住居であった。真女児が出て来て、酒や菓子を出してもてなしてくれたので、喜しき酔ごこちに歓会を共にした。豊雄は朝になって女に逢いたくてたまらないので、朝飯も喫わずに新宮へ往って、県の真女児の家はと云って尋ねたが、何人も知った人がなかった。そのうちに午時も過ぎたところで、東の方からかの稚児髷の少女が来た。女の家は直ぐそこであった。それは門も家も大きく、蔀おろし簾たれこめた夢の中に見たのとすこしもかわらない家であった。少女が入って往って、「傘の主詣で給うを誘い奉る」と云うと、真女児が出て来て、南面の室に豊雄をあげた。板敷の間に床畳を設けた室で、几帳御厨子の餝、壁代の絵なども皆古代のもので、倫の人の住居ではなかった。真女児は豊雄に御馳走した。真女児は己はこの国の受領の下司県の何某が妻であったが、この春夫が歿くなったので、力と頼むものもない。「昨日の雨のやどりの御恵に、信ある御方にこそとおもう物から、今より後の齢をもて、御宮仕し奉らばや」と云った。豊雄は元より願うところであるが、「親兄弟に仕うる身の、おのが物とては爪髪の外なし、何を禄に迎えん便もなければ」と云った。真女児は貴郎が時どきここへ来ていっしょにいてくれるならいいと云って、金銀を餝った太刀を出して来て、これは前の夫の帯びていたものだと云ってくれた。
豊雄は真女児に是非泊ってゆけと止められたが、家へ無断で泊っては叱られるから、明日の晩泊ってもかまわないようにして来ると云って帰って来たが、朝に…