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生活
せいかつ
作品ID42335
著者林 芙美子
文字遣い新字新仮名
底本 「林芙美子随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年2月1日
入力者林幸雄
校正者noriko saito
公開 / 更新2004-08-29 / 2014-09-18
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

なににこがれて書くうたぞ
一時にひらくうめすもも
すももの蒼さ身にあびて
田舎暮らしのやすらかさ

 私はこのうたが好きで、毎日この室生さんのうたを唱歌のようにうたう。「なににこがれて書くうたぞ」全く、このうたの通り、私はなににこがれているともなく、夜更けて、ほとんど毎日机に向っている。そうして、やくざなその日暮らしの小説を書いている。夕御飯が済んで、小さい女中と二人で、油ものは油もの、茶飲み茶碗は茶飲み茶碗と、あれこれと近所の活動写真の話などをしながらかたづけものをして、剪花に水を替えてやっていると、もうその頃はたいてい八時が過ぎている。三ツの夕刊を手にして、二階の書斎へあがって行くと、火鉢の火がおとろえている。炭をつぎ、鉄瓶をかけて、湯のわくあいだ、私は三ツの夕刊に眼をとおすのだ。うちでとっているのは、朝日新聞、日日新聞、読売新聞の三ツで、まず眼をとおすのは、芝居や活動の広告のようなものだ。女の心がある、行ってみたいなと思う。永遠の誓いと云うのがある、みんな観に行きたいと思いながら、その広告が場末の小舎にかかるまで行けないでしまうことがたびたびなのだ。
 広告を読み終ると三面記事を読む。その三面記事も一番下の小さい欄から読んでゆく。三ツの新聞に、同じような事が書いてあっても、どれも違う記事のように読めて面白くて仕方がない。政治欄はめったに読まない。だから私は、小学生よりも政治の事を知らない。――いつだったかも、日日新聞から、議会と云うものを観せて貰った。入口では人の懐へまで手を入れて調べる人がいたり、場内へ這入ると、四囲の空気が臭くて、じっとしていられなかった。真下に視下す議場では、居睡りをしている人や、肩を怖からせてつかみあっている人たちがいた。それが議員と云う人たちなそうで、もう吃驚してしまって、それきりな気持ちになってしまっている。
 ひととおり新聞を読み終ると、ちょうど鉄瓶の湯が沸き始める。もう、この時間が私には天国のようで、眼鏡に息をかけてやり、なめし皮で球を綺麗にみがく。そうして茶を淹れ、机の上の色々なものに触れてみる。「御健在か」と、そう訊いてみる気持ちなのだ。ペンは万年筆を使っている。インキは丸善のアテナインキ。三合位はいっている大きい瓶のを買って来て、愉しみに器へうつしてつかう。二年位あるような気がする。原稿用紙の前には小さい手鏡を置いて、時々舌を出したり、眼をぐるぐるまわして遊ぶ。だけど、長いものを書き始めると、この鏡は邪魔になって、いつも寝床の上へほうり投げてしまう。机の上には、何だか知らないけれども雑誌と本でいっぱいになって、ろくろく花を置くことも出来ない。唐詩選の岩波本がぼろぼろになって、机の上のどこかに載っている。
 九時になっても、お茶を飲んで呆んやりしている。昔の日記を出したりして読む。妙に感心してみたり、妙にくだらなく思…

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