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薬指の曲り
くすりゆびのまがり
作品ID42340
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本怪談全集 Ⅰ」 桃源社
1974(昭和49)年7月5日
入力者Hiroshi_O
校正者大野裕
公開 / 更新2012-09-23 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ――これは、私が近比知りあった医学士のはなしであります――
 私の父と云うのは、私の家へ養子に来て、医師になったものでありまして、もとは小学校の教師をしておりました。其の当時は、医師に免許状を持たした時で、それまで医師をやっていた家へは、内務省からお情け免状をくれました。で、父は祖父が亡くなりますと、其のまま家業を継いで医師になりました。
 父が亡くなった時が七歳でしたから、連続した記憶はありませんが、それでもちょいちょいしたことは覚えております。父は何時も淋しそうな顔をしておりましたが、それでいて人ずきの悪い人ではありませんでした。口元には赤茶けた口髯がチョビリ生えておりました。父は私を非常に可愛がりました。他処へ往って宿るようなことがあると、私が怪我をしやしないか、不意に病気になりはしないかと思って、眠られなかったと云います。これは私の故郷の詞でありますが、私の故郷では嬰児のことをややと云いますが、父は私を五歳になっても六歳になっても、ややと呼んで、好く母に笑われたと云います。
「此のむきじゃ、十歳になっても、二十歳になっても、ややと云ったかも判らない」
 と、母が好く云いました。そんな人でありますから、母に対しても非常に優しかったと見えます。それは養子と云うこともありましたろうが、しかし、いったいにおとなしい生れであったと思われます。従って気も弱かったらしゅうございます。大きな負傷をした患者が来たりすると、患者よりも父の方が驚いて、顔色を真蒼にして治療をしたと云います。
 ある時、腰に腫物の出ている患者の局部を、父が恐る恐る切開していると、患者の方から、
「先生、そんなに痛くはありませんよ、ひと思いに切ってください」
 と云ったと云って、これは母が私に話しました。其の父が亡くなりますと、親類では、母がまだ壮いし、家業が家業でありますから、母に養子をして、医師をやらそうと云うことになりましたが、何と云っても母が承知しません。尤も、間もなく医術開業試験の規則が出来て、もうお情け免状を相続することはできなくなりましたが……、其の時すぐ養子をすると、まだ一代は其の恩典に浴することはできましたが、私の家にはちょっとした財産がありまして、其の日に困ると云うほどでもありませんでしたから、親類も其のままにしてありました。
 父から比べると、母はしっかりした、勝気な処がありました。其の母が、私が八歳の夏でした。今考えると、チブスのような病気になって、非常に熱があって、其の比南の方から流れて来ていた山田と云う医師にかかっておりましたが、其の医師がどうも癒るのが困難しいと云いだしましたので、親類の者がかわりばんこに看病に来てくれましたが、大病と云うので、何人も家の内で大きな声をする者がなく、親類の者同志で顔を見あわすと、何か黒い重い物が眼前に浮んでいるような顔をしました。…

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