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微笑
びしょう
作品ID42401
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第一巻(小説Ⅰ)」 未来社
1967(昭和42)年6月20日
初出「雄弁」1919(大正8)年2月
入力者tatsuki
校正者松永正敏
公開 / 更新2008-10-18 / 2014-09-21
長さの目安約 43 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は遂に女と別れてしまった。一つは周囲の事情が許さなかったのと、一つは私達の心も初めの間ほどの緊張を失ってしまっていたのと、二つの理由から互に相談の上さっぱりと別れてしまった。一切の文通もしないことにした。其後女は、下谷から芳町の方へ住替えたとも風の便りに聞いたが、別に私の好奇心をも唆らなかった。私は何物にも興味を失っていた。長い間のだらけ切った生活が、憂欝な退屈な重みとなって私自身の心のうちに返ってきた。私は自分の家に、八畳と六畳との素人下宿の二階に、ぼんやり日を暮すことが多くなった。其の頃私は○○商会の翻訳を受持っていたが、それも不自由しないだけの金は国許から送ってくるし時間の束縛の多い職務に極めて物臭であった私が選んだ地位だけあって、収入は多くないが至って呑気なものであった。私がよくぼんやり日を送っているのを見て、宿のお上さんは度々私に結婚を進めて、候補者と称する女の写真まで二三枚持って来て見せたが、そういうことも私には面倒くさかった。貧乏な齷齪した生活をしてる者にとって今の社会が憂欝である如く、生活に困らない自由な呑気な者にとっても今の社会は憂欝であることを、私はつくづく経験した。
 然しそういうのは、当時の私を包んでいる雰囲気であって、心の底には私は二つの考えを持っていた。
 その一――今の社会の状態に在っては、誰も彼もが欠伸をしている。金持ちも貧乏人も、忙しい者も閑な者も皆同じような一日一日をつみ重ねていって、それで一生の墓を築いている。こういう風にして世の中が続いて行ったら、遂にはどうなるだろう。皆が欠伸と倦怠とのうちに死滅するようになったら、どうだろう。考えてもたまらないことだ。凡そ憂欝な退屈くらい人間を毒するものはない。それに今の社会は、全くこの事に侵されてしまっている。このままでいいものだろうか。
 その二――今の社会では、皆が何かしら歯をくいしばっている。皆不満なのだ、皆何かしら満たされない慾望に囚われているのだ。所がそれが次第に昂じてきて、この頃ではもう、何に不満であるか何の慾望に駆られているのか、それが分らなくなってしまっている。そして彼等にはただ、くいしばった歯と齷齪した生活と疲れながら陰欝に光ってきた眼だけが残っている。中心が盲目で外部が猛獣なのだ。このままで進んでいったらどうなるだろう。これでいいものだろうか。
 右の外観上相矛盾するようで実は同じ基調の上に立つ二つの考えが、永い前から私の心の中に在った。然しそれをどうしようという気は私には無かった。私は自分が余りに怠惰で無力であると思っていた。そして絶えず奇蹟を待つような気で何かを待っていた。けれどそれも遂に徒らな空望であることを感じて私は益々倦怠と憂欝とに囚えられてしまった。
 室の中にぼんやり寝転んでいると、窓の硝子越しに十一月の晴れた空が見られた。空は徒らに高く澄み返…

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