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悪夢
あくむ
作品ID42418
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第二巻(小説Ⅱ)」 未来社
1965(昭和40)年12月15日
初出「改造」1923(大正12)年8月
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2007-11-02 / 2014-09-21
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は時々、変梃な気持になることがある。脾肉の歎に堪えないと云ったような、むずむずした凶悪な風が、心の底から吹き起ってくることがある。先ず第一に、或る漠然とした息苦しさを覚える。何もかもつまらなくなる。会社の下っ端に雇われて、毎日午前九時から、午後四時まで、時には六時過ぎまで、無意味な数字を、算盤でひねくりまわしたり、帳簿に記入したり、そしてその間には、自分の用でもない電話をかけさせたり、ぺこぺこお辞儀をしたり、まるで機械のようになって働いて、頭と身体とを擦りへらしてしまい、そして満員の電車でもまれて、下宿に帰って、飯を食い湯にでもはいると、もう何をする気力もなく、冷たい煎餅布団にくるまって、ぼんやり寝てしまうの外はない。而もそういう生活から得らるる金と云ったら、僅かに六十円しかないので、日曜日がまわってきても、愉快な気晴しをする余裕はとてもなく、寝坊と夢想と散歩と活動写真くらいで、一日ぐずぐずに送ってしまう。一体何のために自分は生きてるのか? それを思うと、もう何もかも、自分自身も世の中も、つくづく嫌になってくる。そして一番いけないのは、こういう生活が、毎日同じように、際限もなく、末の見込や希望が一つもなく、ただだらしなく繰返されることである。そんなことを考えまわすと、息が苦しくなってきて、今にも窒息しそうな気持さえする。このままで年を取っていったらどうなるのか? 自分の若い生命はどうなるのか? せめて、大空の下で大地の上で、大きく息をでもつけたら……。然し凡てが狭苦しくて惨めである。風通しも日当りも悪い三畳の室、それから外に出ても、軒並に切取られた狭い空、薄濁りのした空気、その空気を通してくる蒼ざめた日の光、そしていつも、満員の電車、人の群、それからまた、緑の木の葉一つ見えない、地下牢みたいな頑丈な檻――数字ばかりが積み重ってる会社の室。凡てのものが、私の精神をばかりでなく、私のこの肉体をも、蒼白く萎びさしてしまう。ああせめて、力一杯にぶつかってゆけるものでもあったら……。然しこの都会の真中では、人の体力を要求するようなものは、何一つとしてない。鍬を取って掘り返すべき、一隅の地面もない。鋸や斧を振うべき、一片の木株もない。息の限り走り廻られる、広々とした草原の面影もない。そして生活は、大地を離れた繁忙な事務の中に閉じ籠められ、一つ所に動きがとれぬほど固定され、毎日同じことを繰返す機械のようになされて、額ににじみ出る汗は、筋肉を働かせることから来る力強い爽快な汗ではなくて、日光と空気とが不足して窒息してゆく、じりじりとした生汗である。それも私ばかりではない。誰も彼もみな、干乾びて痩せ細るか、脂肪がたまってぶよぶよと肥るかして、溌溂とした体力を持ってる者は一人もいない。激しい残忍さと温良さとを持ってる農夫、強い抱擁力を持ってる田舎娘、それらを思い出させるよう…

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