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足
あし |
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作品ID | 42439 |
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著者 | 豊島 与志雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「豊島与志雄著作集 第二巻(小説Ⅱ)」 未来社 1965(昭和40)年12月15日 |
初出 | 「新小説」1925(大正14)年9月 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2007-12-26 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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寝台車に一通り荷物の仕末をして、私は食堂車にはいっていった。暑くてとても眠れそうになかったので、ビールの助けをかりるつもりだった。ビールを飲めば、後で却って暑くなることは分っていたが、どうせ暑いんだから、多少酔った方がごまかしがつく……とそう考えたのだった。
食堂の中はこんではいなかったが、それでも五六人の客が、方々の卓子で、酒を飲んだり料理を食ったりしていた。私は片隅の方に腰かけて、一寸した料理とビールとを取った。丁度箱根の山にさしかかったところなので、窓は開けられなかったが、煽風器の風のあおりで、いくらか涼味があった。
そこで出来るだけゆっくり時間をつぶして、それから喫煙室にはいってみた。夜更けのことで誰もいなかったので、そこでまた暫く時間をつぶした。
いつまでそうしてもおれないので、自分の寝台へ戻っていった。どの寝台も寝静まって、カーテンがはたはたと揺めいているきりだった。
ところが、私は喫驚して立止った。中程に一つぽかんと口を開いてる私の寝台の、すぐ上の段のカーテンの裾のところから、こちら向きに、人の足がぶら下っていた。膝から先だけのむき出しな片足で、だらりと垂れ下って、それが列車の動揺につれて、ゆらゆら……ゆらゆら……手招きでもするように動いていた。
よく見ると、死人の足でもなさそうだった。
寝呆けてるんだな。
そう思ったとたんに、足が寝呆けてると口の中でくり返して、私は一人で可笑しくなった。
が不思議な足だった……というよりも、初めてつくづくと眺めたので、不思議だったのかもしれない。
浅黒い男の右の足だったが、見れば見るほど変な恰好に思われてきた。向う脛の骨が張子の骨のように際立って見える、痩せた細長いやつで、黒い毛が一本一本粗らになって生えていた。それが次第に、骨と皮ばかりに細っていってる先に、踝の骨が腫物のように高まって、そこから、がくりと斜めに折れ曲って、馬鹿に大きな足先きとなっていた。太い針金のような筋が甲に五本分れ出て、細長い先の円い指を吊していた。その指が少し上向き加減にうち開いて、守宮の足の指のように見えた。それが、その全体が、ゆらゆら……ゆらゆら……何かを招いているようだった。
寝呆けやがって……化けるな、化けるな。
ビールの酔も手助って、私はそんなことを腹の中でくり返しながら、そっと足先を通りぬけた。
然し、愈々寝る段になると、足のぶら下ってる下にもぐりこむのは、どうも我慢がならなかった。
私は手を伸して、上の寝台の縁をこつこつ叩いた。
「危いですよ……落ちますよ……足が落ちかかっていますよ……足が……。」
カーテンの中で、眼ざめた息の音がした。
「危いですよ。足が落ちかかっていますよ。」
「それは……どうも……有難う。」
と同時に、足がすっと引込んでしまった。私はほっと安心して、寝台の中にもぐり…