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![]() きりのなか |
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作品ID | 42469 |
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副題 | ――「正夫の世界」―― ――「まさおのせかい」―― |
著者 | 豊島 与志雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「豊島与志雄著作集 第三巻(小説Ⅲ」 未来社 1966(昭和41)年8月10日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2008-06-01 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 41 ページ(500字/頁で計算) |
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南正夫は、もう何もすることがなかった。無理を云って山の避暑地に九月半ばまで居残ったが、いずれは東京の家に、そして学校に、戻って行かなければならないのだ。なんだか変につまらない。ただ一人で、丘の斜面の草原の上に寝ころんでぼんやりしていると、いろいろなことが頭に浮んでくる。大空が、目のまわるほど深くて青い。白い雲が流れる。大気がひえびえとしている。遠くの山々が、ひっそりと、薄っペらで、紙細工のようだ。どこかで虫が鳴いている……。
ふいに、耳のすぐそばで、然し遠くから来るような調子で、正夫を呼ぶ声がする。ほう、「彼奴」だ。久しぶりにひょっこり出て来たのだ。小さな、すばしこい、怪しげな、とぼけた、おかしな奴で、人に話したって本当にされそうもない。名前もない奴なので、正夫はただチビと呼んでいる。もう馴れっこになっているし、一種の親しみさえ持っているので、別に驚きはしない。それに丁度、神話のことを考えていたところだ。神々や巨人や怪物や、いろんな妖精。チビだって、謂わば、神話の中のような者だ。
「久しぶりだね。」とチビは云った。
「うん。」と正夫は答えた。
「何をしてるんだい。」
「何にもしてやしないよ。」
「じゃあ、退屈だろう。」
「退屈だから、何にもしていないんだよ。」
「何にもしないから、退屈するんだ。」
「ちがうよ。退屈だから何にもしないのさ。」
「同じじゃないか。」
「ちがうよ。」
チビは耳をかいた。困った時の癖だ。そして暫く黙っていたが、正夫の目の中を覗きこんできた。
「じゃあ、何を考えていたんだい。」
「いろんなことだよ。」
「どんなこと?」
「神だの、巨人だの、人魚だの……。」
「ああ、大昔の話か。あんなこと、みんな嘘っぱちだろう。」
「嘘じゃないよ。」
「本当のことだと思ってるのか。」
「本当でもないさ。」
「そんなら嘘じゃないか。」
「本当でも嘘でも、どっちでもないんだ。」
「では何だい。」
「何だか知らないが、本当でも嘘でも、どっちでもないようなものが、あるんだよ。君には分らないだけだ。」
チビはまた耳をかいた。
「今だってあるよ。」
「何が?」
「そんなことが。こないだも……。」
すぐ向うの丘の、裾を廻ってる街道でのことだった。夕方近くで、うすく靄がたれこめてる中に、まだ明るみが浮き上ってる、へんに佗びしい頃だった。白い街道を、一台のトラックが走って来た。初めは小さく、兜虫のようにのろのろと、やがて大きくなり、早くなって、風のようにさっと通りすぎ、同時にごーっと音がし、白い埃をまきあげた。その時、麦か米か粉かの大きな袋が堆くつんである、その上から、人間が一つ、軽くふわりところがり落ち、それがこんどは重々しく地面にはねあがり、そしてぐったりとなった。トラックは走り去り、落ちた人間だけがそこに長くのびている。
あたりには誰もいなかった。何の…