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梅花の気品
ばいかのきひん
作品ID42475
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-01-12 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 梅花の感じは、気品の感じである。
 気品は一の芳香である。眼にも見えず、耳にも聞えない、或る風格から発する香である。甘くも酸くも辛くもなく、それらのあらゆる刺戟を超越した、得も云えぬ香である。人をして思わず鼻孔をふくらませる、無味無臭の香である。それと明かに捉え得ないが、それと明かに感じ識らるる、一種独特の香である。何処からともなく、何故にともなく、何処へともなく、自からに発散して漂っている、浮遊の香である。
 それはまた、梅花の香である、薄すらと霧こめた未明の微光に、或は淋しい冬日の明るみに、或は佗びしい夕の靄に、或は冷々とした夜気に、仄かに織り込まれて、捉え難く触れ難く、ただ脈々と漂ってる、一種独特の梅花の香は、俗塵を絶した気品の香である。その香を感じてその花を求むるは、俗であり愚である。花の在処を求めずに、漂い来る芳香に心を澄す時、人は気品の本体を識るであろう。
 気品はまた、一の凛乎たる気魄である。衆に媚びず、孤独を恐れず、自己の力によって自ら立ち、驕らず卑下せず、霜雪の寒にも自若として、己自身に微笑みかくる、揺ぎなき気魄である。肥大ならず、矮小ならず、膨張せず、萎縮せず、賑かからず、淋しからず、ただあるがままに満ち足って、空疎を知らず、漲溢を知らず、恐るることなく、蔑むことなき、清爽たる気魄である。
 それはまた、梅花の気魄である。霜雪の寒さを凌ぎ、自らの力で花を開き、春に魁けして微笑み、而も驕ることなく、卑下することなく、爛漫たる賑かさもなく、荒凉たる淋しさもなく、ただ静に己の分を守って、寒空に芳香を漂わしてる姿は、まさに気品そのものの気魄である。しみじみと梅花に見入る時、恐怖や蔑視や悲哀や歓喜など、凡て心を乱すが如き情は静まって、ただ気高き気品の気魄に、人は自ら打たるるであろう。
 気品はそれ自身の性質からして、清浄なる白色たるべきである。赤や青や黄など、何等かの色に染められた気品は、世に存しない。固より、赤や青や黄や紫など、そういう色彩が持ち得る気品はあるけれども、気品そのものの色はどこまでも白色である。然し単に白色のみでは足りない。純白の気分を破らない程度に於て、何等かの点彩を要する。鮮かなる一点の色彩を包んだ純白、それが気品の色である。
 この気品の色はまた、梅花の色に見らるる。黎明や薄暮の微光の中に浮出す、ほの赤きまでの白色、白昼の外光や深夜の闇の中に浮出す、ほの蒼きまでの白色、または月光に輝らし出さるる、薄紫にまがうまでの白色、その白色の花弁の中に、花粉の黄を小さく点出した色彩は、気品そのものの色彩である。それに眸を凝らす時、人は自ら心すがすがしくなって、気品の妙趣を悟るであろう。
 気品には一の渋味があり、而も同時に一つの新鮮味がある。気品は旧守でもなく、また新奇でもない。純粋の気品は、骨董と新考案とを包含し、両者を調和したもので…

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