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奇怪な話
きかいなはなし
作品ID42513
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-05-25 / 2014-09-18
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の故郷の村中に、ちょっと無気味な隘路がある。両側は丈余の崖で、崖上には灌木や竹が生い茂り、年経た大木が立並んで空を蔽い、終日陽の光を見ることなく、真昼間でさえ薄暗く、肌寒い空気が湛えている。隘路の地面は妙に湿っぽく、落ち散った木の葉がじめじめとこびりついている。而もこの隘路の中、片方に、深さ丈余の小溝があって、覗きこんでも底はよく見えず、ただ処々に、水の淀みの陰欝な反映があるのみである。
 この隘路に、夕暮――日の光が消え、而もまだ提灯をつけるには早いという、昼と夜との合間の半端な薄闇の頃、ともすると、上方の茂みを貫いて、中天から、ぶらりと、大きな馬の足が一本垂れ下る……というのである。
 その話は、私が幼い頃、祖母や其他の人々からきいた種々の話のうち、一番恐いものなので、今でも頭の中に残っている。夕方、不気味な隘路のなかに、大きな馬の足が一本、ぶらりと垂れ下る、とただそれだけのことであるが、それが変に、想像の中にはっきりした形をとって現われる。
 その恐怖と闘うために、私はいろんなことを考えてみた。空をかける天馬があって、一日の疾駆に疲れ、夕方ほっと息をついて休む、その時、一本の足が、丁度隘路の上に垂れるのだと、そんなことを最も多く考えた。然しこの考えは、どうもしっくりこなくて、陰欝な隘路の夕闇の中にぶらりと垂れ下る一本の大きな馬の足だけが、あらゆる解釈や物語から超越して、まざまざと見えてくるのであった。
      *
 馬の足の話は、いろんな形で、各地に、云い伝えられているものらしいが、その研究は暫く措いて、私はこれに似た事柄を、現実に、而も人間について、経験したことがある。
 山陽線を旅していた時のことである。山陽線は、時折、瀬戸内海の景色を車窓に見せてはくれるが、ただそれだけで、いつも同じような山と田圃と町ばかり、そして同じような屈曲で同じ方向に、いつまでも汽車は走り続ける。あんな退屈な線路はない。夜汽車で通るに限る。
 ところで、夜汽車というものは、何かしら淡い情緒をそそり、好奇心を眼覚めさせ、猟奇的な感覚に呼びかけるものであるが、それが、二等寝台車では殊に多い。上段と下段と、二列に並んだ寝台が、両側に向い合って、その一つ一つに、見ず知らずの人たちが、一人ずつもぐりこんで、半睡半醒の意識を、汽車の動揺と音響とにゆすられている。引寄せたカーテンについてる、それぞれの番号が、通路のぼんやりした電灯の光に、いやにくっきりと浮出して、それはもう、寝台の番号ではなく、その中の人体の番号でもなく、変に遊離した数字にすぎない。その遊離した数字が、淡い不安な空気をかもし出す。そして、大きな声や足音を、おのずから禁止する……。
 夜更しの習慣の私は、早くから寝静まる寝台車からのがれて、食堂車に腰をすえていた。腹はすいていないし、ゆっくりやるには、いきおい、ビー…

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