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猫性
びょうせい
作品ID42544
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-06-12 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 誰にも逢いたくない、少しも口が利きたくない、そしてただ一人でじっとしていたい。そういう気持の時が屡々ある。これは意気阻喪の時ではなく、情意沈潜の時である。
 私は純白か漆黒かの尾の長い猫なら、見当り次第幾匹でも飼いたいと思っている。それも、室内にとじこめられた単に愛玩具の外国産のものでなく、自由に戸外をもかけ廻る野性的な日本種がいい。尾の短いのは人工的でいけなく、尾の長い自然的なのに限る。それから一般に動物は、単毛色のものは雑毛色のものより虚弱で、種々の点で抵抗力が弱いのであるが、それでも純白か漆黒かというのは何故であるかとなると……それは茲では云わない。
 ところで、何故に猫か。猫は飼養動物のうちで最も人間に近い生活をしている。屋内に人間と同居し、同じ食物をたべ、同じ寝具に眠る。にも拘らず、犬のような奴隷根性がない。用があり、気が向けば、喉をならしてすり寄ってくるが、用がなく、気が向かなければ、呼んでも返事をせず、すましてそっぽを向いている。猫は人の顔色を読むと云われているが、往々、最もよく人の顔色を無視する。そして庭の隅や、縁側の片端や、机上などに、ただじっと蹲っていることがある。人に逢いたくなく、口を利きたくなく、一人で夢想しているのだ。そうした夢想の中に、肉食獣の野性の夢がある。猫のうちには、馴致されきれない何物かが残っている。
 それを、私は自分のこととして感ずる。人に逢いたくなく、口を利きたくなく、一人でじっとしている時、沈潜している情意は、道徳的な習慣的な世間的なものであって、その底に、何かしらむくむくとうごめく野性的なものが存在する。道徳や習慣に馴致されない何物かだ。そしてその野性的な何物かのうちに最も多く芸術の萠芽がある。
 芸術が一種の創造であるという要素は、この馴致されない野性的な深い何物かの上に建設されるところにある。この建設のない場合、芸術は創造的要素を失い、生命力が稀薄になる。
 猫の持つ野性の夢は、柔軟温順な外観から離れた、内心的なものである。その内心的なものに対する驚異と恐怖とから、猫に関する怪談が生れる。猫に関する怪談は、道徳美の埒外に、あるものが多く、たとい報恩とか復讐とかいうことから発したものにあってさえ、たちまち独自の発展をなして、精神的な怪異力を発揮する。
 それに似た怪異力が、すぐれた芸術の中に含まれている。場合によっては、怪談を組立てることさえ出来るだろう。然しその怪談は常に、所謂美談とは全く縁のないものであるだろう。美談は悉く馴致されたものの上に成立つが、猫や芸術の怪談は悉く、馴致されきれないものの上に成立つ。
 頃日、知人の好意と尽力とで、金目銀目の尾の長い純白の猫を一つ手に入れた。今年正月の生れで、初めての夏の暑気に多少弱っているらしいが、人間たちによく馴れよく戯れながらも、時々、人々を無視して、何物をも…

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