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録音集
ろくおんしゅう |
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作品ID | 42546 |
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著者 | 豊島 与志雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社 1967(昭和42)年11月10日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2006-06-15 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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八月の中旬、立秋後、朝夕の微風にかすかな凉味が乗り初める頃、夜の明け方に、よく雨が降る。夜の間、大気が重く汗ばんで、のろく渦を巻いたり淀んだりしているなかに、どこからともなく軽い冷気が流れだして、木の葉がさらさらと揺れだすと、もう間もなく、東の空が白んで、地平線から、熔鉱炉のなかの鉱石のように真赤な太陽が、しずかにせり上ってくる。然しそれも僅かの間で、太陽の面はすぐ雲にかくれる。空低く、煙か霧かとも見える雲で、それがぱらぱらと、時にはさあーっと、雨を落してゆく。この雨、のぞきださなければ雨とも思えないような、また降りかかっても物を濡しそうには思えないような、乾燥した爽かな音なのである。
六月の末から七月の初めにかけて、いわゆる梅雨の頃、宵のうちによく雨が降る。人に気づかれないようにこっそりと日が暮れて、晴れてるのか曇ってるのか分らない空が、重々しく大地の上にのしかかって、あらゆるものの動作を鈍らせ、呼吸を遅滞させ、陰欝な気分を立てこめる時、濃い雨気が流れてしとしとと雨が降る。降るかとみれば、すぐに霽れ、霽れるかとみれば、また降っている。この雨、傘の中にでも、家の中までも、じめじめとしみとおってくるような、しめっぽい濡れきった音なのである。
雨にも――雨に対しておかしな言葉だけれど――乾燥した音と濡れた音とがある。
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雨戸を閉める音は、種々雑多であるが、その両極瑞に、ガタガタ……ピシャリ……というのと、スー……コトリ……というのとある。これを解説すれば、力一杯にガタガタと押しやって、ピシャリとぶっつけるのが前者で、力をぬいて静にスーっと押して、頃合をはかってコトリとやめるのが後者である。
この二つの気合は、その人の時々の気分にもよるが、そういう例外を除いて、尋常な場合だけをとれば、異った二つの気質を、そしてなお二つの生活様式を暗示する。
雨戸を閉める音をきいていると、その人の日常の挙措動作や暮し方から、気立や性質までが想像される。
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日常の対話で、音声の美醜は殆んど気付かれず、言葉の調子だけが主に感ぜられる。言葉の調子は表情や身振に直接関連しているが、音声は独立している故であろうか。
然るに、電話になると、言葉の調子の如何よりも、音声の美醜の方が、より多く感ぜられる。表情や身振の裏付のない言葉の調子そのものは、音声のために低い地位へ蹴落される。
そしてこの音声については、男性は別として、女性にあっては、美婦は多く悪声であり、醜婦は多く美声であって、顔の美と音声の美とはほぼ反比をなす。記録をとってみれば、例外は二十パーセントにすぎない。即ち八十パーセントまでは、音声の美と顔の美とは反比例する。――序ながら、他の調査によれば、教養の程度をぬきにして、単に筆蹟の巧拙だけから見る時、美婦は多く悪筆で、醜婦は多く美筆であって…