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ピンカンウーリの阿媽
ピンカンウーリのアマ |
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作品ID | 42584 |
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著者 | 豊島 与志雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社 1967(昭和42)年11月10日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2006-07-06 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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忙中の小閑、うっとりと物思いに沈む気分になった時、いたずらにペンを執って、手紙でも書いてみようという、そんな相手はないものだろうか。もとより、用事の手紙ではなく、眼にふれ耳にはいる事柄の、埒もない独白だ。
窓前の木の枝に小鳥が鳴いてるとか、薄霧がはれて日の光りがさしてきたとか、象牙のパイプに脂の色がほんのりしみてきたとか、銭湯に行こうかそれともちょっと酒でも飲もうか……などなど、意味もないつまらないことばかりを並べ立てて、さて、そんな手紙を誰に宛てて出したらよかろうか。
手紙を書くということは、元来、ひどく億劫なことである。埒もない手紙にしても、戯画戯文ではない。それを書くのだから、なにかそこにはおのずから心情の温かみがあろう。愛情というほど強いものではない。ただ、頬杖をつくぐらいな気持ちで頭をもたせかける胸、何も求めない無償の意味で心を寄せかける肌、それだけの相手にすぎない。
その相手が一つ、遠くにあった。
秦の始皇帝の伝説は、日本によく知られている。山東半島の先端に突兀とそびえてる※[#「山+労」、413-下-23]山の頂から、始皇帝は海上はるかに見渡して、海の彼方にあるという蓬莱島のことを偲び、その島の不老不死の霊薬のことを思った由。私はいま逆に、こちらから彼方を偲ぶのである。
※[#「山+労」、414-上-3]山の麓の小さな半島の先に、青島の町がある。煉瓦とコンクリートと赤瓦との建物、舗装しつくされた街路、アカシアやプラタナスの並木、青澄な海と白砂の浜辺、丘上や岬に散在する公園、競馬場やゴルフ場……若いハイカラな近代都市である。
だがこの都市にも、衙門や天后宮のような旧支那式建築が残っており、ピンカンウーリ(平康五里)の特殊な高楼がある。
このピンカンウーリは、現在はどうなってるか分らないが、妓楼であった。広い中庭をかこんで、円形になってる六階建てのもの。一階は店屋であり、二階から上は、中庭に面して廻廊がめぐらされ、廻廊の内部に小房がずらりと並んでいて、それぞれ遊女たちの室である。階を上るに随って、彼女たちの格式もよくなり、最上階のはもはや娼妓というよりも芸妓である。
その最上階の一房に、二人の芸妓がいた。まだ年は若いが、容姿といい芸といい、一流の売れっ妓で、料亭の宴席に出かけてることが多かった。この二人の身辺の世話をしてる阿媽がいた。阿媽といえば女中だが、一説では芸妓の養母だともいう。つまりは、日本の芸者屋のおかあさんに当るのであろう。
この阿媽さん、年齢は四十過ぎだが、まだみずみずしい美人だった。青い支那服を着、しなやかな黒髪を小さく束ね、纒足にちっちゃな沓をつっかけてる、古風な身なりだが、半月形の眉、澄みきった黒目、餅のような頬の肉付、小さな口のつややかな唇、すんなりした両手の指、微妙な曲線をゆるがせる腰……そのすぐれた容色…