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ジャングル頭
ジャングルあたま
作品ID42585
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-07-06 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夜の東京の、新宿駅付近や、上野不忍池付近は、一種のジャングル地帯だと言われる。酔客、ヨタモノ、パンスケ、男娼、などなどの怪物が横行していて、常人は足をふみ入れかねる。このジャングルを、一夜、警官の案内で坂口安吾は探検した。
 だが、ジャングルは他にもある。近頃の若い婦人の頭髪を御覧なさい。パーマの長髪を、頭の二倍大、三倍大にふくらまして、颯爽と五月の風になびかしてる、と言いたいところだが、実は、ただもじゃもじゃ、くしゃくしゃ、後頭部から肩へ引っかついでるだけで、雀の巣どころの代物ではなく、全くのジャングルだ。
 これが、頸筋のすっきりした長身の体躯ならば、まだよい。然し不幸なことには、彼女等の多くは、お尻だけは比較的大きいかも知れないが、胴体も寸づまり、脚も寸づまりのちんちくりんなのである。たとえ、ハリウッド好みのワンピース、ツーピースをまとい、ハンドバッグの革紐を肩にかけ、ハイヒールの上に反りかえろうと、その矮小な体躯は、所詮、ごまかせるものではない。そして徒らに、頭髪のジャングルだけが大きく目立つ。言わば髪の毛の化物なのだ。
 こんなのを、ジャングル頭と言う。
 彼女等は、自分の立姿を鏡に写して見たことがあるであろうか。鏡で見るのは、恐らく、顔とか髪とか襟元とか、部分的なものばかりであろう。もし立姿全体を、鏡で見るとか、或るいは障子に写った影絵で見るならば、そのお化け然たる恰好に、自分でもぞっとすることだろう。知らぬが幸だ。
 これは、然し、外観だけのことである。そのジャングルを押し分け、頭脳の内部にまでふみ込んでみるならば、そこも、恐らくはひどいジャングルであろう。情意の涸渇、志操の頽廃、傲慢な功利主義と享楽主義。毒気ばかりが立ちこめて、清純な花の咲く余地はあるまい。
 例えて言おう。晩春初夏の後楽園野球場には、しばしば、可憐な紋白蝶が一匹或るいは二匹、ひらひらと飛んでいる。砂地の上や青い芝生の上を、地面低く飛んでいる。観客で埋まったスタンドで四方を囲まれ、走り廻る選手や飛び交うボールの間をぬって、無心そうにひらひらと飛んでいる。その小さな白い蝶はいったい、どこから来たのであろうか、どこへ行くつもりなのであろうか、夜はどこで眠るのであろうかと、一片の感傷を持てというのではないが、ボールの行方を見守る合間に、蝶の姿にも少しく眼をやるだけの心情を持つ女性ファンがあったならばそのひとに敬意を表したいのである。ジャングル頭には、これは望めないだろう。
 だが、ここで、御婦人の悪口を言うような失礼を犯すつもりはない。問題の本当のところは、全く、この内部的ジャングル頭にある。
 そういう頭脳の青年を、阿部知二は「おぼろ夜」の中で刻明に描き出している。この主人公の大学生は、愛する女学生から無視されたために、自我を喪失したと自覚し、その自我を回復するためには、その源…

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