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ジャン・クリストフ
ジャン・クリストフ
作品ID42595
副題08 第六巻 アントアネット
08 だいろっかん アントアネット
原題JEAN-CHRISTOPHE
著者ロラン ロマン
翻訳者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「ジャン・クリストフ(三)」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年8月18日
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2008-03-13 / 2014-09-21
長さの目安約 186 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

[#左右中央]
     母に捧ぐ
[#改ページ]


 ジャンナン家は、数世紀来田舎の一地方に定住して、少しも外来の混血を受けないでいる、フランスの古い家族の一つだった。そういう家族は、社会に種々の変化が襲来したにもかかわらず、フランスには思いのほかたくさんある。彼らは自分でも知らない多くの深い関係で、その土地に結びつけられているのであって、一大変動がない以上は、そこから彼らを引き抜くことはできない。彼らのそういう執着には、なんらの理由もないし、また利害関係もほとんどない。歴史的追憶などという博識な感傷性といったものは、ある種の文学者らにしか働きかけるものではない。打ち克ちがたい抱擁力で人を一地方に結びつけるものは、もっとも粗野な者にももっとも聡明な者にも共通なる、漠然としたしかも強い感覚――数世紀以来その土地の一塊であり、その生命に生き、その息吹きを呼吸し、同じ床に相並んで寝た二人の者のように、その心臓の音がじかに自分の心臓へ響くのを聞き、そのかすかなおののき、時間や季節や晴れ日や曇り日の無数の気味合、事物の声や沈黙、などを一々感じ取ってるという、漠然としたしかも強い感覚なのである。おそらくは、もっとも美しい地方よりも、または生活のもっとも楽しい地方よりも、土地がもっとも簡素で、もっとも見すぼらしく、人間に近く、親しい馴れ馴れしい言葉を話しかけるような、そういう地方こそ、よりよく人の心をとらえるものである。
 ジャンナン家の人たちが住んでいたフランス中部の小地方は、まさにそのとおりであった。平坦な濡いのある土地、淀んだ運河の濁り水に退屈げな顔を映してる、居眠った古い小さな町。その周囲には、単調な田野、耕作地、牧場、小さな流れ、大きな森、単調な田野……。美景もなく、塔碑もなく、古跡もない。人の心をひきつけるようなものは何もない。しかし、すべてが人を引き留めるようにできている。その無気力懶惰のうちには、一つの力が潜んでいる。それを初めて味わう者は、悩みと反発心とをそそられる。けれども、その印象を数代つづいて受けてきた者は、もはやそれから離脱することができない。すっかり沁み込まれている。その事物の沈滞、そのなごやかな倦怠、その単調さは、彼にとって一つの魅力であり、深い甘美であって、彼はそれをみずから知ってはいず、あるいは貶しあるいは好むが、長く忘れることはできないであろう。

 ジャンナン家の人たちはいつもそこに生活してきた。町の中や近郊において、十六世紀まで家系をさかのぼることができた。というのは、一人の大伯父が一生をささげて、この無名な勤勉なつまらない人たちの系統を調べ上げたからである。農夫、小作人、村の職人、つぎには、僧侶、田舎の公証人、などであって、しまいにその郡役所所在地に来て身を落ち着けたのであった。その地で、現在のジャンナンの父であるオーギュスタ…

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