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天下一の馬
てんかいちのうま
作品ID42637
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄童話集」 海鳥社
1990(平成2)年11月27日
初出「赤い鳥」1924(大正13)年3月
入力者kompass
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-07-30 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 ある田舎の山里に、甚兵衛という馬方がいました。至ってのんき者で、お金がある間はぶらぶら遊んでいまして、お金がなくなると働きます。仕事というのは、山から出る材木を、五里ばかり先の町へ運ぶのです。ぷーんと新しい木の香りがする丸や四角の材木を、丈夫な荷馬車に積み上げ、首のまわりに鈴をつけた黒馬にひかして、しゃんしゃんぱっかぱっか……と、朝早くから五里の街道を出かけて、夕方までには家へ帰って来ます。その馬がまた甚兵衛の自慢でした。何しろ馬方にとっては、馬が一番大切なものです。甚兵衛は親譲りの田畑を売り払って、その馬を買い取ったのでした。世に珍しいつやつやとした黒毛の若駒で、背も高く骨組みもたくましく、ひひんといなないて太い尾を打ち振りながら、ぱっかぱっかと街道を進む姿は、見るも勇ましいものでした。多くの馬方の馬のうちでも、一番立派なこの自分の黒馬を、甚兵衛は大層可愛がって大事にしていました。
 冬のある晴れた日に、甚兵衛はいつもの通り、材木を荷馬車に積み黒馬にひかして、町へ出かけて行きました。お昼頃町へ着いて、材木を問屋の庭に下し、弁当を食べ馬にもかいばをやり、それから家へ帰りかけました。ところが、空がいつしか曇ってきて、寒い北風まで加わって、雪がちらちら降り出しました。甚兵衛は馬を雪にあてないように、途中の立場茶屋に二三時間休みますと、幸いにも雪が止みましたので、これならば泊まってゆくにも及ばないと思って、急いで家に帰りかけました。けれど二三時間休んだために、短い冬の日はもう暮れかけて、おまけに曇り日なものですから、途中で薄暗くなってしまいました。
「これは困った」と甚兵衛はひとりごとを言いながら、振り向いて馬の首筋を平手で撫でてやりました。「こう薄暗くなっちゃあ、お前も歩きにくかろうし、寒くもあろうが、まあ辛抱しなよ。そのかわり、家へ戻ったらうんとごちそうしてやるからな」
 馬はその言葉がわかったように、ひひんと一声高くいなないて、しゃんしゃんぱかぱかと、鈴の音も蹄の音も勇しく、足を早めに歩き出しました。
 そうして、人通りの絶えたたそがれの街道を、とある崖の下までやって来た時のことです。崖の裾のくさむらの中から、うっすらと積もってる雪の上に、猫くらいの大きさのまっ黒なものが、いきなり飛び出して来て、甚兵衛の前に両手をついて、ぴょこぴょこおじぎをするじゃありませんか。
「馬方の甚兵衛さん、お願いですから、助けて下さい」
 初めびっくりした甚兵衛は、話しかけられたのでなおびっくりして、立ち止まってよく見ますと、人間とも猿ともつかない顔付をし、体のわりには妙にひょろ長い手足の先に、山羊のような蹄が生えていて、まっ黒な一重の短い胴着の裾から、小さな尻尾がのぞいていました。
「おやあ、変な奴だな」と甚兵衛は言いました。「お前は一体何だい?」
「山の小…

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