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母親
ははおや |
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作品ID | 42665 |
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著者 | 豊島 与志雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「豊島与志雄著作集 第五巻(小説Ⅴ・戯曲)」 未来社 1966(昭和41)年11月15日 |
初出 | 「読売評論」1951(昭和26)年1月 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2007-02-10 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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――癖というのか、習慣というのか、へんなことが知らず識らずに身についてくる。吉岡にもそれがあった。十一月十五日、七・五・三の祝い日に、彼は炬燵開きをするのだった。炬燵開きといっても、大したことではない。独身の貧しい彼のことだ。押入の片隅から、古ぼけた炬燵と薄い掛布団とを取り出し、ぱっぱっと埃を払い、炭火を入れれば、それでよい。日当りのよい六畳の室だから、暖い日が続けば、炬燵は隅っこに押しやっておく。だが、最初の日だけは、炬燵の温度をしばらく楽しむのである。今年も、七・五・三の祝い日、彼は会社への出勤を休んで、炬燵開きをし、薄曇りの空を硝子戸ごしに眺めながら、とりとめもない夢想に耽った。五合の酒に、スルメとピーナツ、それだけで結構、午後の半日が楽しめるのである。火鉢に、酒の燗をする湯までわかしているので、室の中は暖い。だが、戸外の空気は冷たかった。その冷たい空気のなかを、信子が、七つになる娘の喜久子を連れて歩いている……。
信子も喜久子も、ふだん着のままだ。
信子は片手に、藁であんだ買物袋をさげ、片手で、娘の手を引いている。娘の手が如何にも貴いものであるかのように、心からの温かみをこめて、しっとりと担っている。娘の方も、母の手に心から縋っている。買物袋の中には、鶏肉が百匁、竹の皮と新聞紙と二重に包んで、ぽっちりとはいっている。
一方はまだ戦災の焼跡のままになってる四辻まで来ると、信子は娘をかえり見る。
「ちょっと、お詣りして来ましょうね。」
「どこ?」
「今日ね、七・五・三のお祝いの日ですよ。あなたも七つだから、氏神さまに、お詣りしましょう。」
「ああ、七・五・三て、聞いたわ。きれいな着物をきて、神さまに、お詣りするんでしょう。」
「そうよ。でも、買物の帰りですから、この儘でいいのよ。」
二人は神社の方へ曲って行く。
――吉岡はかじっていたスルメを捨てて、酒をぐいぐい飲んだ……。信子よ、幼い者に向って、なぜ嘘をつくのか。七・五・三の晴着がなければ、ないでいいじゃないか。ないのをむしろ誇りとしたらどうか。初めからお詣りをするつもりでいたくせに、わざわざ買物袋などをさげ、買物の帰りだからふだん着のままでよいなどと、なぜごまかすのか。幼い者にはありの儘を言って聞かせなさい。そうだ、あの衣裳屋の店先に立っていたことも、すっかり言って聞かせなさい。
信子は店先に暫く佇んで、それから中へはいって行く。
出来合いの女服と子供服が両側にずらりと掛けてある。その子供服の方へ信子は行って、縞模様を晩め、定価を見調べ、思案してはまた眺め、次第に奥へはいってゆく。突き当りの卓上には、反物が積み上げてある。そこから、一人の店員が出て来る。
「お子様のものでございますか。新柄がたくさん取揃えてありますが、お幾つぐらいでございましょう。」
信子は眼を大きくし、口を少し開い…