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どぶろく幻想
どぶろくげんそう
作品ID42673
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第五巻(小説Ⅴ・戯曲)」 未来社
1966(昭和41)年11月15日
初出「群像」1952(昭和27)年2月
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-07-15 / 2014-09-18
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 四方八方から線路が寄り集まり、縦横に入り乱れ、そしてまた四方八方に分散している。糸をこんぐらかしたようだ。あちこちに、鉄の柱の上高く、または地面低く、赤や青の灯がともり、線路のレールを無気味に照らしている。ぱっと明るくなり、轟々と響く。それが右往左往する。電車や汽車が通るのだ。長く連結した、窓々の明るい、汽車、電車。姿も黒く、窓々も暗い、汽車、電車。通る、通る、通る。やたらに通る。網目のような架線。電気のスパーク。石炭の黒煙。白い蒸気。高い台地の裾に繰り広げられてる線路の輻輳。駅はどのあたりやら見当もつかない。どうしてこうめちゃくちゃに線路を寄せ集めたものか。
 中ほどに高い土手があり、土手の上が道路だ。下方は幾ヶ所も刳り抜かれて、線路が通っている。土手は二つに分れて、その先が木造の陸橋。どこへ通じているのか、通る人もない。その土手上の道路にふらりと踏み込み、右に落ちても左に落ちても直ちに汽車か電車に轢かれることを思い、空を仰いで星々の光りの淡いのを眺め、肌寒い気持ちで後に引っ返した。その時から、方向を取り失ってしまった。
 東西南北の方向、固より厳密なものではなく、だいたいの見当に過ぎないのだが、それが道行く時の指針となる。ただに人里遠い平野に於てばかりでなく、都会の街路においても、酔ってる時にはそうだ。多くの人は、たとい酔っても方向など頼りにせず、ほとんど意識しないらしいが、俺にとっては方向が最上の頼りである。通り馴れた街路でも、深夜、方向の指針を失うと、どちらへ行ってよいか分らないし、電車に乗っても、車の走る方向に錯覚を起すと、全く不安になってくる。より多く動物的なのであろうか。
 あの線路の輻輳地帯から、引っ返して、歩いて行ったが、もうすっかり、方向の指針を失っていた。第一、ひどく酩酊していた。立ち止って深呼吸をやってみても、酔いを感ずるだけで、方向の感覚は蘇って来ない。
 それでも、とにかく歩いて行った。ずいぶん歩いた。街路はぎらぎら明るくなったり、闇に沈んで暗くなったりし、俺は前に進んだり、後に戻ったりした。どうしても辿り着きたかったのだ。酔いの一徹心で、是非とも、周伍文のところへ行って、あのうまい濁酒を飲みたかった。もう十日間ばかり無沙汰していたのである。ずいぶん歩いた。
 それらしい曲り角が漸く分った。だが、暫くして、またも方向が分らなくなった。その辺、空襲の焼跡で、荒れるがままに見捨てられ、名も知れぬ雑草が茫々と生えていた。高い煙筒や壊れかけたコンクリート塀などが残っていた。もうだいぶ夜更けなのだろう。通行人も見当らなかった。
 雑草の中にわけ入り、腰を下して、煙草を吸い、方向を考え、そして……何をしていたやら。
 淡い月がいつのまにか出ていた。
 見覚えのある女の顔が、俺の方を覗きこんだ。見覚えはあるが、どこの誰だか分らなかった。淡緑の…

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