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大師の時代
だいしのじだい
作品ID42686
著者榊 亮三郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「大師の時代」 宗祖降誕会本部
1913(大正2)年8月25日
入力者はまなかひとし
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-04-05 / 2014-09-21
長さの目安約 89 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

本日は、弘法大師の御降誕に際しまして、眞言宗各派の管長の方々、並に耆宿碩學の賁臨を忝うし、又滿堂の諸君の來集の中に於て、此の演壇に立ち、宗祖大師の時代につきまして、一塲の卑見を[#挿絵]ぶることを得まするは、私にとりまして、光榮至極のことゝ存じます、演題は、茲に掲げました通り「大師の時代」と云ふのであります、從來、宗祖大師の降誕會を擧行せらるゝ度毎に、緇素の諸名流方が、此の演壇の上に現れまして、或は大師の文章につき、或は才學につき、或は建立せられた教義につき、或は功業遺徳につき、演述せられたものは甚だ多い、此等は、弘法大師の面目其のものを描き出したもので、濃淡の差はあり、色彩の別はありましやうが、謂はば、大師の御肖像を描き出す上に於て、全部又は一部の貢與をなされたものと私は信じます、由來、肖像畫は、畫の中でも、困難なものであつて、就中、宗祖大師のごとき方を言説の力で描き出して聽くもの、見るものをして、其の眉目生動の御姿を彷彿せしむるは、困難至極のことであると想像致しますが、從來發表せられた講演の筆記を拜見致しますに、中々巧にやりとげられたやうに窺はれますが、私の只今諸君の清鑒に供しまするのは、大師の御肖像ではありませぬ、大師の埀跡せられ、活動せられた時代そのものであつて、大師の御一身を、假りに龍に倫擬しますれば、今迄此の演壇に立たれた方々の御講演は、雲に駕し、雨を呼んで、九天の上に飛翔せらるゝ龍を描き出し、又は、描き出んと勉められたもので、其の苦心は、尋常一樣でなかつたことは、谷本、松本、内藤の諸博士の御演説集を一見致しましても、判然致します、此等は、孰れも、龍の全部を描出したものであるが、しかし、龍と申すも雲を得て、始めて、靈ある次第でありまして、風に駕し、雲を御して、始めて四海の上に飛翔することが出來るのである、私は、自から揣るに、到底龍其のものを描くことは、其の器でない強ひて、やれば、或は、蛇となる恐があるから、此の際、寧ろ、龍のつきものでありまする雲を描きたいと思ひ、又風を描きたいと思ひましたのが、即ち、大師の時代と云ふ題目を選擇しました所以で、大師の肖像ではないが、其の背景であり其の周圍であります、大師が、よりて以て飛翔せられた風雲であります、龍を描いて、雲を描かなかつたら、如何にして、其の靈を示すことが出來ましやうか、大師の文章才學を述べ、其の功業遺徳を讃歎しましても、大師を出した時代、大師が飛翔せられた雲霄の光景が、明かでない以上は、大師の面目が完全に描き出されんとは、云へない、此の點より申せば、私の選擇しました題目も、大師の遺徳を紹述します上に於ても决して、關係がないものとは、申されぬ次第と確信致します、私の家は、世々新義眞言宗の檀徒で、生れた故郷は、興教大師の御事跡と關係ある紀伊岩手の莊でありまして、幼少の時代から、嗜んで、弘法大師の御傳記…

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