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次郎物語
じろうものがたり
作品ID42692
副題01 第一部
01 だいいちぶ
著者下村 湖人
文字遣い新字新仮名
底本 「下村湖人全集 第一巻」 池田書店
1965(昭和40)年7月10日
入力者tatsuki
校正者松永正敏
公開 / 更新2006-01-01 / 2015-03-07
長さの目安約 325 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 お猿さん

「癪にさわるったら、ありゃしない。」と、乳母のお浜が、台所の上り框に腰をかけながら言う。
「全くさ。いくら気がきついたって、奥さんもあんまりだよ。まるで人情というものをふみつけにしているんだもの。」と、竈の前で、あばた面をほてらしながら、お糸婆さんが、能弁にあいづちをうつ。
「お前たち、何を言っているんだよ。」と、その時、台所と茶の間を仕切る障子が、がらりと開いて、お民のかん高い声が、鋭く二人の耳をうつ。
 お糸婆さんは、そ知らぬ顔をする。お浜は、どうせやけ糞だ、といったように、まともにお民の顔を見かえす。見返されて、お民はいよいよきっとなる。
「お浜、あたしあれほど事をわけて言っているのに、お前まだわからないのかい。恭一は何と言っても惣領なんだからね。どうせあの子を、そういつまでも、お前の家に預けとくわけにはいかないじゃないか。」
「そんなこと、もうわかっていますわ。どうせ御無理ごもっともでしょうからね。」
「お前何ということをお言いだい、私に向かって。……お前それですむと思うの。」
「すむかすまないかわかりませんわ。まるで欺しうちにあったんですもの。」
「欺しうちだって。」
「そうじゃございませんか。恭さんをちょっと連れて来いとおっしゃるから、つれて上ると、すぐにお祖母さんに連れ出さしておいて、そのあとで、こんなお話なんですもの。」
「それで、お前すねたというのだね。」
「すねたくもなろうじゃありませんか。私にも人情っていうものがございますからね。」
「すると、恭一の代りに、次郎を預るのは、どうしても嫌だとお言いなのかい。」
 お浜はそっぽを向いて默りこむ。
「何というわからずやだろうね。私に乳がないばっかりにこうして頼んでいるのに、やさしく言えばつけ上ってさ。……嫌なら嫌でいいよ、もうお前にはどの子も頼まないから。その代りこの家とはこれっきり縁を切るから、そうお思い。飯米に困るなんてまた泣きついて来たって知らないよ。恭一にだって、これからはどんな事があっても逢わせるこっちゃない。」
 お民は、そう言ってぴしゃりと障子をしめた。
「奥さん、そりゃあんまりです。あんまりです。」
 お浜はしめられた障子のそとでわめき立てた。
「何があんまりだよ。」
「あんまりですわ。やっと恭一さんを一年あまりもお育てしたところを、だしぬけに、今度の赤ちゃんのような、あんな……」
「あんな、何だえ。」と、また障子ががらりと開く。
「…………」
「はっきりお言い。」
「まあまあ、奥さん、わたしからお浜どんにはよう言って聞かせましょうで……」と、お糸婆さんが、やっとなだめにかかる。
「言って聞かせるもないもんだよ。年寄りのくせに、お浜にあいづちばかりうっていてさ。」
「へへへへ。」お糸婆さんは、お歯黒のはげた歯をむき出して、変な笑いかたをする。
 その時、奥の方か…

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