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たてふだ
作品ID42714
副題――近代伝説――
――きんだいでんせつ――
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第四巻(小説Ⅳ)」 未来社
1965(昭和40)年6月25日
初出「日本評論」1941(昭和16)年1月
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-11-23 / 2014-09-21
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 揚子江の岸の、或る港町に、張という旧家がありました。この旧家に、朱文という男が仕えていました。
 伝えるところに依りますと、或る年の初夏の頃、この張家の屋敷の一隅にある大きな楠をじっと眺めて、半日も佇んでいる、背の高い男がありました。それを、張家の主人の一滄が見咎めて、何をしているのかと尋ねました。
「楠を見ているのです。」と背の高い男は答えました。
「それは分っているが、なぜそんなに見ているのか。」
「珍らしい大きな木だから、見ているのです。」
 実際、それはみごとな大木でした。山地の方へ行けば、そのような木はいくらでもありますが、この辺の平野には至って珍らしいもので、根本は四抱えも五抱えもあるほどにまるくふくらみ、それから少し細って、すくすくと幹が伸び、上にこんもりと枝葉の茂みをなしています。張家の自慢の木でありました。それを誉められて、張一滄が大きな鼻をうごめかしていますと、背の高い男はほーっと溜息をついていいました。
「珍らしい大きな木だが、可哀そうなことをしましたね。」
「ほう、可哀そうなこととは、どういうことかね。」
「あんなに、蓑虫がたくさんついています。」
「ああ、あの虫には、私も困っているのだ。何かよい工夫はあるまいか。」
「私に任せて下されば、すっかり取り除いてあげましょう。」
「それが、君には出来るかね。」
「出来ます。」
「うむ。君は何という者かね。」
「朱文という者です。」
 そういうわけで、この背の高い朱文が張家に仕えることになったそうであります。その時彼は、三十歳だったといわれています。
 朱文は張家の一房を与えられ、自ら奥地へ行って秘密な鉱石の粉末を求めて来、繩梯子を拵えて、楠の蓑虫駆除にかかり、遂にそれをやりとげてしまったそうでありますが、その詳細なことは分りかねます。ただ、これまで蓑虫に食い荒されていた楠の葉が、青々と艶々と茂るようになったのを、やがて、町の人たちは見て取りました。
 ところで、楠の方の仕事に、朱文は一日のうち二三時間だけかかるきりで、大抵はぶらぶら遊んでいたようであります。殊に港の船着場に、彼の姿がよく見かけられました。
 大河を上下する汽船や帆船が、種々の貨物をこの港に降してゆきました。赤濁りした河水が満々と流れているのを見るだけでも、なかなか面白いものですが、汽船や帆船の航行を見るのは、更に面白いものですし、それらの船から遠い土地の荷物が降されるのを見るのは、何より面白いものです。いつも多少の見物人がありました。その中に交って、背の高い朱文が、人一倍長そうに思われる両腕を、手先だけ袖口につっこんで腹のところで輪になし、ぼんやり佇んでいる姿は、妙に人目につきました。それがまた他の見物人を誘って、いつも、彼のいるところには人立がふえました。
 船から河岸へ荷役のあるたびごとに、朱文は大抵その近くに出て来…

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