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秦の憂愁
しんのゆうしゅう
作品ID42718
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第四巻(小説Ⅳ)」 未来社
1965(昭和40)年6月25日
初出「文芸」1944(昭和19)年11月
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-07-15 / 2014-09-18
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 星野武夫が上海に来て、中国人のうちで最も逢いたいと思ったのは秦啓源であった。だが秦啓源は、謂わば上海の市中に潜居してるもののようで、その消息がよく分らなかった。
 星野は中日文化協会の人に頼んだ。
 協会の人は頭をかしげた。
「秦啓源氏のことは、よく分りませんが、早速取調べて、何とか連絡をつけましょう。」
 それが、幾日待っても、音沙汰なかった。
 星野は大陸新報の人にも頼んだ。
 新報の人はちょっと考えた。
「秦啓源……名前は知っていますが、よく分りませんね。聞き合せてみましょう。」
 それが、やはり、いつまでも音沙汰なかった。
 それから、星野は、日本軍特務機関の嘱託になってる某氏にも、頼んでみた。
 某氏は事もなげに引受けてくれた。
「秦啓源ですか、よく知っていますよ。すぐに逢うようにしてあげましょう。」
 然し、それきり音沙汰がなかった。
 星野はなお二三の中国人に尋ねてみたが、要領を得なかった。
 つまり秦啓源は、日本側にも、また中国側にも、一部の人々にはよく知られているが、大部分には知られていなかった。その上彼は、何か故意に姿を晦ましているらしくもあった。星野は少し忌々しく思った。次には、いつとなく彼のことを忘れかけてきた。
 星野は忙しかった。上海と南京とを股にかけて、各方面に日程がぎっしりつまっていた。文学を中心として文化一般に亘り、いろいろな会合や調査などに、毎日飛び廻っていた。忙忽のうちに日々は過ぎて、予定一ヶ月は終り、あと数日で日本へ帰ることになった。
 ぽつぽつ、帰途の荷物を整理しながら、星野はまた、秦啓源のことを思い出すのだ。そしてもう、思い出すことは、星野の性情として、何故彼に逢いたかったかを反省してみる方へ傾むいていた。
 秦啓源は以前、東京に長らくいたことがある。中国大使館付の通訳官とかいう話であったが、誰も彼が通訳などしているのを見たことはない。それより彼は、文学者仲間に詩人として知られていた。日本語の長詩も数篇発表した。茫洋とした詩風で、中に鋭利な観察を含んでいた。抒情風の衣をまとった叙事詩、それが本領らしかった。勿論彼の詩才を認めそれを高く評価したのは、東京の文学者のうちの一部にすぎなかった。その一部にとっては、彼はまた時折、飲み仲間でもあった。酒には実に強かった。いつも金は多く所持していた。
 太平洋戦争が始まって半年ばかりの後、彼はふいに支那へ帰った。失恋の結果だという風説もある。大使館から帰還させられたのだという風説もある。公金を費消した疑いがあるという風説もある。重慶側の知識層に知人が多いということは、今では一部に認められている。
 彼ははじめ北京に住み、それから上海に移った。
 この秦啓源を、星野は文学に復帰させたかったのである。彼の詩は中国文学に一つの生気を齎すであろうと、そう考えた。そして彼を文化活動の表…

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