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白藤
しらふじ
作品ID42729
副題――近代説話――
――きんだいせつわ――
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第四巻(小説Ⅳ)」 未来社
1965(昭和40)年6月25日
初出「婦人文化」1946(昭和21)年10月
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2008-02-14 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 草光保治は、戦時中に動員されて外地へ渡り、終戦後復員されて、二ヶ年半ぶりに[#「二ヶ年半ぶりに」は底本では「二ヶ月半ぶりに」]東京へ戻ってきました。
「東京もずいぶん変ったでしょう。」
 戦争の話やその他の話の末、周囲の者がきまって彼に向ける言葉は、それでした。東京もというのは、日本も、時勢も、人々も、その他いろいろなものを含めてのことでした。それに対して彼は、曖昧な微笑と曖昧な言葉とを返しました。
「そうですね……。」
 彼はなんだかぼんやりしていました。頭脳の調子が鈍っているようでした。その代り……ただ、まじまじと眼を見開いていました。すべてがふしぎに新らしい、そういう気持ちでした。
 そして彼は、母の髪の中に、多数の白髪を見ました。父の手の甲に、隆起した静脈の網目を見ました。妹の顔に、雀斑が濃くなったり淡くなったりするのを見ました。姉の幼児に、長い睫毛を見ました。庭の木斛の葉に、雀の白い糞を見ました。御影石の門柱に、新らしい欠け跡を見ました。そのほか、無数のものを見ました。それからまた焼け跡の耕地に、麦の葉がそよいでるのを見ました。電車の腰掛に、はみ出てる藁屑を見ました。廃墟のビルヂングに、三十度も傾いてるコンクリートの壁を見ました。焼け跡のあちこちに、湯屋の煙突だけがたくさんつっ立っているのを見ました。そのほか、いろいろなものを見ました。それからまた、この広い荒野のなかに、ぽつりぽつりと建てられてるバラック小屋を見、ぎっしり立ち並んでる古い日本家屋の聚落を見、高層な洋式建物が軒を連ねてるのを見ました。或る処には、人影もない寂寥を見、或る処には、群衆の雑沓を見ました。群衆のなかには、他国の兵士も見ましたし、また、長途の困難な旅行者のように荷物を背負ってる人々を見ました。そのほか[#「見ました。そのほか」は底本では「見ました。 そのほか」]、さまざまなものを見ました。
 それらのものが雑然と積もり重なって、異邦にあるような思いをさえ起させました。その思いがますます、草光保治に眼を見張らせました。
 然し、如何に眼を見張ったとて、やはり、日本が祖国であり、東京が郷里であることには、聊かの変りもありませんでした。ただ、祖国であるその日本が、郷里であるその東京が、ふしぎに変って感ぜられるのでした。戦争により、殊に空襲により、二ヶ年半の間に相貌が変った、というばかりでなく、草光保治の内部にもなにか変ったものがありました。記憶が薄らいで眼が冴えてくる、というような状態にありました。
 そういう異邦人めいた感懐のなかに、ぽつりと、淡い灯をともしたような、一の心像がありました。縁側に踞まってぼんやり庭を眺めている時など、それが浮んできました。焼け跡を散歩しながら、嘗てはその辺からは見えなかった富士山の姿を、西空はるかに見出して、ふと足を止め、しみじみと眺め入っている…

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