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どうひょう
作品ID42734
副題――近代説話――
――きんだいせつわ――
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第四巻(小説Ⅳ)」 未来社
1965(昭和40)年6月25日
初出「文芸春秋」1947(昭和22)年4月
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2008-02-19 / 2014-09-21
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ソファーにもたれてとろとろと居眠った瞬間に、木原宇一は夢をみました。森村照子と広い街道を歩いてる夢でした。今晩彼女と一緒に三浦行男氏を訪れることになっているし、しかもそれをどうしたものかと未だに迷っている、そういう意識があったからでありましょうか。そして夢の中の彼女は、背の高い大きな体躯で、巨木の幹のように泰然と構えていまして、不思議なことに、その容貌が全然分りませんでした。もっとも、夢の中では、妖怪変化は別として、人間については、その姿形が見えるだけで、顔立や表情は殆んど見えないのが、普通のことでありましょう。木原宇一の夢の中の彼女も、照子だということが分ってるだけで、その顔付や表情は全然分らず、姿態が大きくはっきりと見えるだけでした。その彼女と、彼は連れ立って歩いてゆきました……。
 何の岐れ路もないただ一筋の真直な街道。地面は乾いているらしいが、埃ひとつ立たなかった。私は――(夢の中ではもう木原宇一でも彼でもなくただ私であった)――私は、照子に言っていた。
「私はあなたを愛しています。あなたの眼を、あなたの髪の毛を、あなたの手を、あなたの足を、あなたのありとあらゆるものを、ひたすらに愛しています。昔から愛していましたし、今も愛していますし、将来も……。」
 照子は黙っていた。それは別に不思議ではなかった。黙っているのが本当だった。
 私はとぎれとぎれに、いろいろなことを言った。
「私はあなたを愛するようになってから、次第に、酒に親しむようになりました。これはどういうことでしょうか。私はあなたを愛していますし、あなたから愛されてることを知っています。愛し愛される者は、やたらに酒を飲んで酔っ払うことなんかない筈ではありませんか。だが私は、よく酒を飲んで酔っ払います。どうしたことなんでしょう。」
 照子は黙っていた。
 街道の両側は荒野らしく、痩せ細った灌木や雑草があちこちに生えていた。
「あなたはしばしば、今の家庭生活が嫌だと言い、家を出てアパート生活でもしてみたいと言いました。そういうこと、つまり、現在の境涯に不満で新しい境涯を待望するというようなことは、若い女が男に向って訴える場合、時とすると、愛の告白ともなることがあります。あなたの場合も多少その色合がありました。そしてあなたの言葉は私の心に媚びました。けれども、話が抽象的なことから次第に具体的なことに及ぶと、私は一種の驚きを感じ、次には反撥を感ずるようになりました。あなたの家が百万長者であろうと、そんなことは問題でありません。あなたのお父さんがいろいろな会社の重役であることも問題でありません。あなたのお父さんは大して学問もなさらず、独力で孜々として今日の地位を築いてこられたことも、問題でありません。あなたがちょっと好きだったらしい人が、こんどの戦争で戦死されたことも、問題でありません。あなたが教養…

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