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無人島に生きる十六人
むじんとうにいきるじゅうろくにん
作品ID42767
著者須川 邦彦
文字遣い新字新仮名
底本 「無人島に生きる十六人」 新潮文庫、新潮社
2003(平成15)年7月1日
入力者kompass
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-06-08 / 2016-01-18
長さの目安約 205 ページ(500字/頁で計算)

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本文より





中川船長の話

 これは、今から四十六年前、私が、東京高等商船学校の実習学生として、練習帆船琴ノ緒丸に乗り組んでいたとき、私たちの教官であった、中川倉吉先生からきいた、先生の体験談で、私が、腹のそこからかんげきした、一生わすれられない話である。
 四十六年前といえば、明治三十六年、五月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾に碇泊していた。
 この船は、大きさ八百トンのシップ型で、甲板から、空高くつき立った、三本の太い帆柱には、五本ずつの長い帆桁が、とりつけてあった。
 見あげる頭の上には、五本の帆桁が、一本に見えるほど、きちんとならんでいて、その先は、舷のそとに出ている。
 船の後部に立っている、三木めの帆柱のねもとの、上甲板に、折椅子に腰かけた中川教官が、その前に、白い作業服をきて、甲板にあぐらを組んで、いっしんこめて聞きいる私たちに、東北なまりで熱心に話されたすがたが、いまでも目にうかぶ。
 中川教官は、丈は高くはないが、がっちりしたからだつき、日やけした顔。鼻下のまっ黒い太い八文字のひげは、まるで帆桁のように、いきおいよく左右にはりだしている。らんらんたる眼光。ときどき見えるまっ白い歯なみ。
 いかめしい中に、あたたかい心があふれ出ていて、はなはだ失礼なたとえだが、かくばった顔の偉大なオットセイが、ゆうぜんと、岩に腰かけているのを思わせる。
 そういえば、ねずみ色になった白の作業服で、甲板にあぐらを組み、息をつめて聞きいる、私たち三人の学生は、小さなアザラシのように見えたであろう。
 中川教官は、青年時代、アメリカ捕鯨帆船に乗り組んで、鯨を追い、帰朝後、ラッコ船の船長となって、北方の海に、オットセイやラッコをとり、それから、報効義会の小帆船、龍睡丸の船長となられた。
 この、報効義会というのは、郡司成忠会長のもとに、会員は、日本の北のはて、千島列島先端の、占守島に住んで、千島の開拓につとめる団体で、龍睡丸は、占守島と、内地との連絡船として、島の人たちに、糧食その他、必要品を送り、島でとれた産物を、内地に運びだす任務の船であった。
 龍睡丸が、南の海で難破してから、中川船長は、練習船琴ノ緒丸の、一等運転士となり、私たち海の青年に、猛訓練をあたえていられたのである。
 私は、中川教官に、龍睡丸が遭難して、太平洋のまんなかの無人島に漂着したときの話をしていただきたいと、たびたびお願いをしていたが、それが、今やっとかなったのであった。
 日はもう海にしずんで、館山湾も、夕もやにつつまれてしまった。ほかの学生は休日で、ほとんど上陸している、船内には、物音ひとつきこえない。

 以下物語に、「私」とあるのは、中川教官のことである。

龍睡丸出動の目的

 須川君には、長い間、無人島の話をしてくれと、せめられたね。今日はその約束をはたそう。
 問題の龍…

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