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余はベンメイす
よはベンメイす
作品ID42849
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 05」 筑摩書房
1998(平成10)年6月20日
初出「朝日評論 第二巻第三号」1947(昭和22)年3月1日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-03-16 / 2016-04-15
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 先日朝日評論のO氏現れ、開口一番、舟橋聖一のところには日に三人の暴力団が参上する由だが、こちらはどうですか、と言ふ。こちらはそんなものが来たことがない。来る筈もないではありませんか。
 東京新聞のY先生(なぜなら彼は僕の碁の師匠だから)が現れての話でも、世間ではもつぱら情痴作家と云つてますが、御感想いかゞ、と言ふ。すると、それから、西海と東海と東京と三つの雑誌と新聞から同じやうなことを言つてきて、私の立場に就いて、弁明しろと言ふ。弁明など考へたこともないから、しろと云つても、無理だ。
 朝日評論のO氏も弁明を書けといふ。まるでどうも、私が東京裁判情痴部といふやうなところへ引きだされて目下訊問を受けてゐるやうにきめこんでゐる様子で、私も恐縮したが、まつたく馬鹿げた話である。
 かうきめつけられては、てれてニヤ/\する以外に手がなくなつて、さうかね、私は情痴作家ですか、などと云ふと、知友の筈のY先生まで、舟橋・織田も情痴作家とよばれることを厭がりますね、などと取りすましてゐる。とりつく島がない。
 いつだつたか新潮社のS青年が現れて、サルトルは社会的責任を負ふと声明してゐますが、あなたは如何といふ。この方はハッキリしてゐて気に入つたから、勿論だ、牢屋へでもなんでも這入る、と威勢のいゝところを見せて、ソクラテスを気取つたものだ。ぢや、あなたも声明を書きませんか、ときたから、私も憤然として、そんなこと書くのはヤボといふものだ、作家が自分の言葉に責任を負ふのは当然ではないですか、決闘して死んだ男もあるですよ(ホントかね)。あんまり見上げたことではないが自殺した先生方も多々あるです。僕など生きることしか手を知らないのだから、酒となり肉体となり、時には荘周先生の如く蝶ともなれば、こゝに幻術の限りをつくして辛くも生きてゐるにすぎない。あに牢獄を、絞り首を怖れんや。絞り首は恐入るけれども話の景気といふもので、ザッとかういふぐあひに御返事申上げた。だいたいサルトルが書いたから私にも書けとは乱暴な。先日酔つ払つて意識不明のところを読売新聞の先生方に誤魔化されて読みもしないサルトルにつき一席口上を書いたのが運の尽きで、改造だの青磁社だのまだ出来上らないサルトルの飜訳のゲラ刷だの原稿だの飛び上るやうな部厚な奴を届けて汝あくまで読めといふ。これ実に、人泣かせの退屈きはまる本ですよ。街頭で酒店で会ふ人ごとにサルトルはいかゞとくる。まるで私が今サルトルと別れてフランスから帰つたやうな有様だから、私もつい癪にさはつて、うん、シロでサルトルとシャンパンにカレヒのヒレを落してオカンをした奴をのんだよ、うまくなかつたね、然し実存主義よりはいくらか清潔な飲み物でした、などと言ふ。すると中には、へえ、シロつてのは何ですか。君シロを知らないですか。プルウスト先生行きつけのパリきつての上品なレストランで…

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