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わが戦争に対処せる工夫の数々
わがせんそうにたいしょせるくふうのかずかず
作品ID42854
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 05」 筑摩書房
1998(平成10)年6月20日
初出「文学季刊 第三輯」1947(昭和22)年4月20日
入力者tatsuki
校正者oterudon
公開 / 更新2007-07-30 / 2016-04-15
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私はこれより一人の男がこの戦争に対処した数々の秘策と工夫の人生に就てお話したい。戦争を見物したいといふ人間なら星の数ほどあるであらうが、兵隊になつて自分自身が戦争するといふことになると、これは誰でも尻ごみする。ところが日本には「兵隊になる」といふ言葉は常識上は存在せず「兵隊にとられる」と称する通り、こつちが厭だと云つても兵隊にさせられるから仕方がない。こればかりは秘策の施し様もないのである。三月十日の浅草本所深川などのやられたやうなことが戦争の始めにあれば、しめた、といふので、死んだふりをしたり、無籍者になつたり、年齢をごまかしたり、余は丁種でござる、といふやうなことを申立てゝ、なんと云つたつて区役所から何から何まで焼けたり死んだりしてゐるのだからビク/\することはない。しかしもうあの期に及んでは手遅れで、大概の若い者が兵隊にとられてしまつた後である。けれども、かういふチャンスは人生の正規のコースには有り得ぬので、さういふ場合を待ちもうけて秘策や工夫をたてるわけにはゆかない。だから「兵隊にとられゝば」もう仕方がない。これは工夫の埒外で、諦めざるを得ないのである。
 だから戦争と私との関係、第一条は、兵隊にとられゝば仕方なし、といふ絶体絶命の憲章から始まるのである。太平洋戦争の始まつたとき、私は数へ年三十六だ。第二乙だから平時でもまだ兵役の義務はあるので、それに私の地方の兵隊は辛抱づよくて日本でも優秀な部隊だといふ話であるから、私も、もう、兵隊にとられることは免れがたい宿命だと観念せざるを得なかつた。
 そこで私の工夫の第一条は、兵隊になつてなるべく死なゝい工夫、といふので、然し、最初に申上げておかねばならぬことは、終戦後みんな急に友好的に太平楽になつて、人道だの敵を愛せなどと云ふけれども、何と云つても戦争本来の性格は殺したり殺されたりすることなので、敵と味方が突貫! といつてぶつかつて、そこでヤアといつて握手したなどゝいふことは決してない。私が如何やうに胸のうちに敵を愛してゐたところで、向ふのトーチカの先様に通じる由はないのだから、どつちの方角から迫撃砲だの機銃だの重砲だの乃至は飛行機の爆弾だの、何が来て、いつ成仏するか分らない。だから、絶対に死なゝい工夫といふのは有り得ないので、なるべく死なゝい工夫。
 機械力、これはマア仕方がない。これを差引くと、戦争はやゝスポーツに似てくる。急場々々に敏活な運動性、肉体の反応によつて、逃げたり、穴ボコへ飛びこんだり、これによつていくらか命をもたせることができる。私がかう考へたのは、私は元来スポーツマンで運動神経が発達してゐるから、肉体の敏活なる反応が訓練によつて非常に大きな差を表すことを熟知してゐるからであつた。才能もあるが、又、訓練だ。尤もオリムピック棒高飛の大江選手がフィリッピンの上陸で人のあんまり死なゝいうちか…

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