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![]() くらいせいしゅん |
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作品ID | 42862 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 05」 筑摩書房 1998(平成10)年6月20日 |
初出 | 「潮流 第二巻第五号」潮流社、1947(昭和22)年6月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 深津辰男・美智子 |
公開 / 更新 | 2009-06-23 / 2016-04-15 |
長さの目安 | 約 27 ページ(500字/頁で計算) |
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まつたく暗い家だつた。いつも陽当りがいゝくせに。どうして、あんなに暗かつたのだらう。
それは芥川龍之介の家であつた。私があの家へ行くやうになつたのは、あるじの自殺後二三年すぎてゐたが、あるじの苦悶がまだしみついてゐるやうに暗かつた。私はいつもその暗さを呪ひ、死を蔑み、そして、あるじを憎んでゐた。
私は生きてゐる芥川龍之介は知らなかつた。私がこの家を訪れたのは、同人雑誌をだしたとき、同人の一人に芥川の甥の葛巻義敏がゐて、彼と私が編輯をやり、芥川家を編輯室にしてゐたからであつた。葛巻は芥川家に寄宿し、芥川全集の出版など、もつぱら彼が芥川家を代表してやつてゐたのである。
葛巻の部屋は二階の八畳だ。陽当りの良い部屋で、私は今でも、この部屋の陽射しばかりを記憶して、それはまるで、この家では、雨の日も、曇つた日もなかつたやうに、光の中の家の姿を思ひだす。そのくせ、どうして、かう暗い家なのだらう。
この部屋には青いジュウタンがしきつめてあつた。これは芥川全集の表紙に用ひた青い布、私の記憶に誤りがなければ、あの布の余りをジュウタンにつくつたもので、だから死んだあるじの生前にはなかつた物のやうである。陰鬱なジュウタンだつた。いつも陽が当つてゐたが。
大きな寝台があつた。葛巻は夜ごとにカルモチンをのんでこの寝台にねむるのだが、普通量ではきかないので莫大な量をのみ、その不健康は顔の皮膚を黄濁させ、小皺がいつぱいしみついてゐる。
この部屋では、芥川龍之介がガス栓をくはへて死の直前に発見されたこともあつたさうで、そのガス栓は床の間の違ひ棚の下だかに、まだ、あつた。
この部屋で私は幾夜徹夜したか知れない。集つた原稿だけで本をだすのは不満だから、何か飜訳して、と葛巻が言ふ。だから、こゝで徹夜したのは大概飜訳のためであつたが、私は飜訳は嫌ひなのだが、ぢやあ小説書いて、とくる。私は当時はさう気軽に小説は書けないたちで、なぜなら、本当に書くべきもの、書かねばならぬ言葉がなかつたから。私は一夜に三四十枚飜訳した。辞書をひかずに、分らぬところは、ぬかして訳してしまふから早いのは当りまへ、明快流麗、葛巻はさうとは知らなかつた。
ところが葛巻は、私の横で小説を書いてゐる。これが又、私の飜訳どころの早さではない。遅筆の叔父とはあべこべ、水車の如く、一夜のうちに百枚以上の小説を書いてしまふ。この速力は私の知る限りでは空前絶後で、尤も彼は一つも発表しなかつた。
私はこの部屋へ通ふのが、暗くて、実に、いやだつた。私は「死の家」とよんでゐたが、あゝ又、あの陰鬱な部屋に坐るのか、と思ふ。歩く足まで重くなるのだ。私は呪つた。芥川龍之介を憎んだ。然し、私は知つてゐたのだ。暗いのは、もとより、あるじの自殺のせゐではないのだ、と。ジュウタンの色のせゐでもなければ、葛巻のせゐでもなかつた。要するに、芥川…