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邪教問答
じゃきょうもんどう |
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作品ID | 42871 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 05」 筑摩書房 1998(平成10)年6月20日 |
初出 | 「夕刊北海タイムス 第三一九号」北海タイムス社、1947(昭和22)年7月20日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 藤原朔也 |
公開 / 更新 | 2008-05-31 / 2016-04-15 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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璽光様の話がでるとみんなが笑う。双葉山が小娘の指一本でひっくりかえったり、世直しの後には璽光内閣の厚生大臣であったり、京浜地方へ落ちるはずの神罰大天災が一向に起らなかったり、愛きょうがある。
けれども璽光様ははじめから邪教の様式で登場したからお笑い草ですんでいるだけのことで、人ごとではない、璽光様はわれわれの心に住んでいるのである。
大東亜戦争という、これが璽光様にほかならないではないか。八紘一宇という、科学的な推論じゃなしに、神話の中から民族の理想と予言をひきだしてくる、何々教のお筆先、璽光様の世直しの御理想と全然異るところがないじゃないか。
璽光様が当局の呼び出しを受けたというので双葉関や呉八段が天璽照妙、隊をねって歩いたという。けれども戦争中の日本人は国民儀礼と称する奇々怪々なオツトメをやらされ、朝々ノリトのような誓いの言葉を唱え、その滑稽の度において天璽照妙と全く甲乙のないことをやっていたのである。
何百人の人々が一夜に家を失ったときも、明治神宮の拝殿だけは一週間ぐらいで再建する、国民共は米も魚も拝んだことがないのに、農村から敬々しく献上米が殺到する、これ皆々今日璽光様の身辺に行われていることゝ変りはない。
つまり日本全体が八紘一宇教という邪教徒であったわけで、教祖の東条尊者と璽光様も殆んど甲乙はない。御両者ながら自らの邪教性についてはとんと御反省の素質が欠けており、英雄のつもり、神様のつもりでいらっしゃる。
今度『朕』という奇妙な言葉がなくなったのは当り前のこと、朕だの天皇服、皇后服などと天皇というものが特別な人柄であるような何かゞ残っている限り、天皇自らが国民的邪教の教祖たる性格をとゞめていることを意味している。
大正年間、僕が小学校のころは、朕という言葉は子供のたわむれの言葉でいわばそんな奇妙な言葉があるために天皇が子供たちの悪フザケに恰好の遊び道具となったようなものだった。実質の伴わない架空な威厳、形式的な威厳によっては人は心服するはずはなく、あべこべに戯画となり、子供の遊び道具となる。つまり朕だの天皇服などゝいうものは、璽光様の御尊厳と同じ性格のものなのである。
天皇は国民のアコガレなどとは苦しいコジツケで、天皇は日本の一番古い家柄、それだけの事実にたよるのがもっとも正しく、事実そのもののもつ『つつましやかな』国民的敬意にたよっておれば、永遠に問題はない。事実そのものにのみ実際の力が即しているのだから。
天皇が関西方面へ旅行する、沿道の歓迎が大変だったという。多くの人が泣いていたという。
私はそれをやっぱり璽光様の同類と見るのである。八紘一宇教の残党で、国民儀礼という天璽照妙の一類型が、カンコ、バンザイという略式に変ったゞけ、日本人の胸にすみ太古さながらの邪教性には、敗戦による反省、進歩がないという証拠にすぎない。
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