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姑と嫁に就て(再び)
しゅうとめとよめについて(ふたたび)
作品ID4289
著者与謝野 晶子
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本 與謝野晶子全集 第十五卷 評論感想集二」 講談社
1980(昭和55)年5月10日
入力者Nana ohbe
校正者土屋隆
公開 / 更新2005-04-09 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 本誌の此號に「與謝野晶子氏に呈す」と云ふ一文が載つて居ります。それは前號の本誌で私が某工學士と云つた中根氏が私に寄せられた私信ですが、私の所感の中にある事實の相違を訂正するのに最も便宜だと思ひますから特に本誌に載せることにしました。私のあの文章を書いた眞意が某學士の家に起つた不祥事を批評するのが主でなくて、其事件を新聞紙上で知つて偶ま私が平生日本の姑と嫁とに就て考へて居る所を述べる機會を得たのであつたことは、中根氏も本誌の讀者も認められることであらうと思ひます、併し私の文章の中に、私が不精確な新聞記事と、更に其記事を讀んで十數日を經た後の朧氣な記憶とに由つて書いたことが、中根氏の指摘されたやうに幾個所も事實の細個條と相違して居て、わざと私が中根氏の母上を曲解し矯誣したやうな結果になつて居ることは、私の深く愧ぢる所であり、併せて幾重にもお詫び致す次第です。私はまた中根氏の私信が少しも激昂の態なく極めて温健に書かれて居るのを讀んで、私の想像して居た某工學士とは非常に相違した性格の紳士であることであることを尊敬します。此私信に比べると、私の前號の文章には、日本の姑根性に對する憤りが一時に勃發した所から幼稚な激昂と誇張とが可なり多く混つて居ました。それに就て私は赤面する外ありません。此私信に由て中根氏の母上が「謂ゆる殘忍な姑根性を悉く備へた婦人」でないことを知ることを得ましたのは私の誤解を正す上に有力でしたけれど、私は猶、中根氏の私信に現れた母上の場合を透しても、日本の大多數の姑が總明でないのと、老年の病的心理とから、若い嫁の心理を味解しかねて、氣の毒にも雙方の生活を陰欝悲慘にして居る事實が窺はれるのであつて、日本の生活に姑と嫁との問題は容易に解決し難い暗黒面であることがしみじみと思はれます。
 私の前號の文章が姑の批難に傾いて居たのは、感想の動機が然らしめたので、決して片手落ではありません。若い女の多數が私始めまだまだ驚くべき程無智であり、缺點だらけであることは私が多年論じて居る所です。併し老婦人の無智は概して若い女の無智よりも甚しいと思ひます。老婦人は男子が彼らの都合の好いやうに作つた道徳習慣の制約に盲從して、少しも疑惑を挾まないのみか、却てそれを以て若い女を自分の如く奴隸的に墮落させようとして居ります。私は在來の道徳習慣が其中に男子の爲のみでなく、男女を通じて共に人間としての生活を維持し發展させる上に役立つて居る或物を含んで居ることを認めますけれども、それが概して人間が人間を支配しよう、男が女を支配しようとする精神から出て居るのを見て、私達は出來るだけ人間の平等、男女の對等を實現する生活を營みたいと思ひ、最早私達が幸福と發展とに不用であり、有害である道徳習慣から解放されようと望んで居ります。然るに老婦人は概してまだ子は親の所有物、嫁は良人及び舅姑の所有物と云…

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