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ヒンセザレバドンス
ヒンセザレバドンス |
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作品ID | 42903 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 04」 筑摩書房 1998(平成10)年5月22日 |
初出 | 「プロメテ 創刊号」大地書房、1946(昭和21)年11月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 宮元淳一 |
公開 / 更新 | 2006-06-26 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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私と貧乏とは切れない縁にあり、この関係は生涯変らざるものであらう。私は三日間ぐらゐ水だけ飲んでゐたことが時々あり、あたりまへにしてをればそんな苦労をする必要はないので、身からでた錆だと友達は言ふ、その通りで、人並に暮す金はあつたが、一ヶ月の生計を一夜で浪費してしまふから困るだけの話で、だから私は貧乏で苦しんでもわが身を呪つたことはない。私は細々と長く、といふことの出来ない性分だから、三日ぐらゐづつ水を飲んだり借金取を逃げ廻つたり夜逃げに及んだりするやうなことがあつても、断々乎として浪費はやめぬ。死ぬまでやめぬ。
私は戦争中読む本までなくなつて馬越恭平伝といふのを読んだところが、この先生は生れつき有り金を叩いて飲んでしまふ男で、飲めば景気よく人に金をくれてやつて自分は翌日から借金暮しといふ先生であつたが、ビール会社の社長になつて以来、いくら使つても金が残るので富豪になつてしまつたさうである。なるほど世間は広いもので、使ひきれない金があるのか、と私は驚いたが、小説書きはとても駄目で使つても使つても残るといふ見込みは全然ないから、私は貧乏に就てはすでに覚悟をきめてゐる。
私は貧乏した。然し私は泥棒をしようと思つたことは一度もない。その代り、借金といふよりもむしろ強奪してくるのである。竹村書房と大観堂を最も脅かし、最も強奪した。あるとき酒を飲む金に窮して大観堂へ電話をかけると、たゞ今父が死んで取りこんでゐますからと言ふので私は怒り心頭に発して、あなたの父親が死んだことゝ私が金が必要のことゝ関係がありますかと怒つて、私は死んだ人の枕元へ乗込んで何百円だか強奪に及んだことがあつた。大観堂がさういふ無頼の私を見棄てゝくれなかつたことに就ては、私は感謝を忘れてゐない。勿論証文などゝいふものは書いたためしがないので、大観堂と竹村書房の借金がどれぐらひの額になつてゐるか私はまつたく知らないのだが、サイソクされたことも一度もない。益々借りる一方である。
こんな景気の良いことを書くと、何か人の知らないやうな大浪費、大ゼイタク、大豪奢をしたこともあるやうに見えるけれども、とてもお話にはならないケチなことばかり、豪華と名のつくほどのことは一つもしてゐない。そして一ヶ月に一度か二度の浪費の時間をのぞくと、あとはいつも貧乏してゐた。あと八銭しか金がない、これで数日文なしだといふ時に、一杯のウドンを食ふべきか、一箱のタバコを買ふべきかといふ瀬戸際になつてどんなに喉が鳴るやうでもタバコの方を買ふもので、私がどんな時でも自分を信じてゐることができたのは、かういふ瀬戸際に自分をあざむくことがなかつたせゐだと思ふ、そして私は浪費の時には全然知らない人に奢つてやつたり、全然ムダなことをすることが好きであつた。私は平常人の心の汚なさを見つめ考へつゞけてゐるのだけれども、別にそれと関係のあるハケ口…