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![]() ぐうたらせんき |
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作品ID | 42917 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 04」 筑摩書房 1998(平成10)年5月22日 |
初出 | 「文化展望 第二巻第七号」三帆書房、1947(昭和22)年1月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2007-01-17 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 25 ページ(500字/頁で計算) |
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支那事変の起つたとき、私は京都にゐた。翌年の初夏に東京へ戻つてきて、つづいて茨城県利根川べりの取手といふ町に住み、寒気に悲鳴をあげて小田原へ移り、留守中に家が洪水に流されて、再び東京へ住むやうになり、冬がきて、泥水にぬれたドテラを小田原のガランドウといふ友人のもとに残してきたのを取りに行つた。翌朝小田原で目をさましたら太平洋戦争が始つてゐたので、田舎の町では昼は電気のこない家が多いのでラヂオもきこえず、なんだか戦争が始まつたやうだよ、などとガランドウのオカミサンが言ふのを、仏印と泰国の国境あたりの小競合だらうぐらゐにきゝ流してゐた。正午ちかく床屋へ行かうと思つて外へでて、大戦争が始まつてゐるのに茫然としたのであつた。
国の運命は仕方がない。理窟はいらない時がある。それはある種の愛情の問題と同様で、私は国土を愛してゐたから、国土と共に死ぬ時がきたと思つた。私は愚な人間です。ある種の愛情に対しては心中を不可とせぬ人間で、理論的には首尾一貫せず、矛盾の上に今までも生きてきた。これからも生きつゞける。
それは然し私の心の中の話で、私は類例の少いグウタラな人間だから、酒の飲めるうちはノンダクレ、酒が飲めなくなると、ひねもす碁会所に日参して警報のたびに怒られたり、追ひだされたり、碁も打てなくなると本を読んでゐた。防空演習にでたことがないから防護団の連中はフンガイして私の家を目標に水をブッカケたりバクダンを破裂させたり、隣組の組長になれと云ふから余は隣組反対論者であると言つたら無事通過した。近所ではキチガヒだと思つてゐるので、年中ヒトリゴトを呟いて街を歩いてゐるからで、私と土方のT氏、これは酔つ払ふと怪力を発揮するので、この両名は別人種さはるべからずといふことになつて無事戦争を終つた。
私が床屋から帰つてくると、ガランドウも箱根の仕事先から帰つてきて(彼はペンキ屋だ)これから両名はマグロを買ひに二宮へ行かうといふのだ。私はドテラもとりに来たが魚も買ひにきたのだ。してみると、そのころからすでに東京では魚が買へなくなつてゐたらしい。そして小田原にも魚がなくて、ガランドウが二宮の友人の魚屋へ電話をかけて、地の魚はないがマグロが少々あるからといふので、それを買ひに行つたのだ。東海道をバスで走つた。私は今でもあの日の海を忘れない。澄み渡る冬の青空であつたが、海は荒れてゐた。松並木に巡査が一人立つてゐた。その姿の外に戦争を感じさせる何物もありはしなかつた。二宮の魚屋で私達は店先に腰を下して焼酎を飲み、私はひどく酔つ払つて東京行の汽車に乗つたが、私の汽車が東京へつかないうちに敵の空襲をうけるものだと考へてゐた。私は全く気が早い。私はつまり各国の戦力、機械力といふものを当時可能な頂点に於て考へてゐたので、この戦争がこれほど泥くさいものだとは考へてゐなかつた。皇軍マレーを自転車で進…