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狼園
ろうえん |
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作品ID | 42977 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 02」 筑摩書房 1999(平成11)年4月20日 |
初出 | 「文学界 第三巻第一号~第三巻第三号」1936(昭和11)年1月1日~3月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 今井忠夫 |
公開 / 更新 | 2006-01-02 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 123 ページ(500字/頁で計算) |
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その一 冷血漢
温い心とは何物だらう? それからまごころといふことは? 愛といふことは?
私の父は悪者ではない。それから叔父も、妹も、三人の特別の関係のある女達も。そのうへ此等の人々は私に対して危害を加へないばかりか、私の幸福を祈つたり、私が俗物ではないことを私以上に確信したり、私が私自身に対してさへ労はることを絶対に許さない苦悩に対して労はりの情をさしむけやうとしてみたり、私の愛情に依頼したり、それに裏切られた寂寥に打ち悄れたりする。やりきれないことだ。
この人達が私に向つて答へを求める権利があるといふことを、私は一応承認しやう。私は屡々形式的な返事さへ出し惜しみをする傾きがある。自分乍ら毒々しいと思ふほど、苦りきつた顔もしがちだ。按ずるに答への義務があると思へばこその話で、路傍の人に対してなら、厭な顔もみせない代りに、返事もしないで通りすぎてしまへばいいのだ。いや、それどころか、路傍の人に対しては時々ひどく親切だ。聞手の頭が痺れるほどの綿密さで、間違ひのない道順を教へるために数分の労力を費したり、右と左に別れる時には厭な思ひをさせないためにわざわざ微笑を泛べることも、その程度の無駄な厚意は齲歯が疼く時でさへ気分によつてはやりかねないのだ。私のこんな親切が自分の場合にかけられた覚えのない妹は、驚いたり疑ぐつたり自分一人の断定を下すために急いだりする。あらはに不満を表はして、私が常々肉親に対して誠実な答へと信頼が欠けてゐると難じたこともあつたのだが、陰へまはると、たとへば叔父や友人に向つて、うはべの冷酷と微笑を忘れた堅い顔はもはや性格化されたペッシミズムの結び目に当る宿命の瘤で、裹まれた心の温かさは人にも稀れであるといふ。この種類の、又この深さの解釈は屡々女性が行ひがちだ。彼女等の現実的な眼光は甚だ辛辣に扮装の下を射抜いてくるが、ある限度の深さへくると、この冷酷なまで現実的な眼光が俄かに徹底的な浪曼主義者に豹変しがちなものである。そのうへ偏見と知りつつ固執することの真剣さが、女性にあつては当然の反省すら超躍しがちだ。妹は私の秘められた思ひが人にも増して温かであると言ひふらす。生憎なことに、その解釈の感動的な快さが妹の心を虜にして、信条に近い確信にすら変つてゐるのだ。気の毒な妹よ。然しお前の考へは明らかに不遜な誤魔化しを犯してゐる。根柢的に間違ひだ。私の秘められた心は、残念乍ら温かなものではないのだ。私ですら私の心に幾度となく温かなものを誤診した、誤診しやうと努めすらした、誤診と知りつつ信じることの快さに浸り得た幼稚な然し幸福な忘れられない華やかな(ああ! 皮肉なことに、これが皮肉な用語ではない)追憶すら今も歴然と胸にあるのだ。お前の場合と事違ひ、私の場合は、呑気であつても必死であつた。肉親や人情のつながりに休む気安さはなく、あらゆる関係と存在自…