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禅僧
ぜんそう |
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作品ID | 42978 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 02」 筑摩書房 1999(平成11)年4月20日 |
初出 | 「作品 第七巻第三号」1936(昭和11)年3月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 今井忠夫 |
公開 / 更新 | 2006-01-07 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 19 ページ(500字/頁で計算) |
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雪国の山奥の寒村に若い禅僧が住んでゐた。身持ちがわるく、村人の評判はいい方ではなかつた。
禅僧に限らず村の知識階級は概して移住者でありすべて好色のために悪評であつた。医者がさうである。医者も禅僧とほぼ同年輩の三十四五で、隣村の医者の推薦によつて学校の研究室からいきなり山奥の雪国へやつてきたが、ぞろりとした着流しに白足袋といふ風俗で、自動車の迎へがなければ往診に応じないといふ男、その自動車は隣字の小さな温泉場に春半から秋半の半年だけ三四台たむろしてゐる、勿論中産以下の、順つて村大半の百姓には雇へない。
農村へ旅行するなら南の方へ行くことだ。北の農家は暗さがあるばかりで、旅行者を慰めるに足る詩趣の方は数へるほどもありはしない。この山奥の農村では年に三人ぐらゐづつ自殺者がある。方法は首吊りと、菱の密生した古沼へ飛び込むことの二つである。原因は食へないからといふだけで、尤も時々は失恋自殺もあるのだが、後者の方は都会のそれと同じことで、村人の話題になつても陽気ではある。珍らしく一人の旅人がこの村へきて、散歩にでたら葬式にでつくはした。この葬式は山陰の崩れさうな農家から出発、今や禅寺をさして行進を開始したところだが、先頭が坊主で、次に幟のやうなものをかついだ男、それにつづく七八名で、ヂャランヂャラ/\といふ金鉢のやうなものをすりまはしながら行進するのが寒々とした中にも異様な夢幻へ心を誘ふ風景であつた。こんな山奥でも人は死ぬ、余りに当然なことながら、夢のやうにはかない気がした。きつと年寄りが死んだんでせうね? と旅人は傍らの農夫にたづねてみた。へえ年寄りが首をくくつて死んだのです、え、自殺? そんなことがこの山奥にもあるのですか? へえ年に三四人づつあるやうです。貴方の足もとの、ほらこの沼へとびこんでその年寄りは冷めたくなつて浮いてゐたのです。棒がとどかないので、私達が盥に乗りだして引上げたのですが、盥に菱がからまつて私達までなんべん水へ落ちさうになつたか知れません、と言ふのであつた。旅人は一度に白々とした気持を感じた。全てが一家族のやうな小さな村にも路頭に迷つて死をもとめる人がある、都会の自殺には覇気がありむしろ弾力もある生命力が感じられるが、この山奥の自殺者の無力さ加減、絶望なぞと一口に言つても、もと/\言ひたてるほどの望みすらないところへ、それが愈々絶えたとなると一体どういふ澱みきつた空しさだけが残るだらうか、考へただけでも旅人はうんざりして暗くならざるを得なかつた。この山村の自殺は小石を一つつまみあげて古沼の中へ落すことと同じやうな努力も張り合ひもない出来事に見えた。
医者は多少の財産があるのか、夏場は温泉で遊び冬は橇を走らして遠い町へ遊びにでかけた。夏の山路は九十九折で夜道は自動車も危険だが、冬は谷が雪でうづまり夜も雪明りで何心配なく橇が谷を走るのだ。そ…