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手紙雑談
てがみざつだん
作品ID42994
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 02」 筑摩書房
1999(平成11)年4月20日
初出「中外商業新聞」1936(昭和11)年12月24日~26日
入力者tatsuki
校正者今井忠夫
公開 / 更新2006-01-17 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       (上)

 スタンダアルやメリメのやうに死後の出版を見越して手紙を書残した作家がある。私も少年の頃はさういふ気持が強く一々の手紙に自分の存在を書き刻むやうな気持であつたが、その努力が今ではすべて小説にとられ、手紙は用件を書きなぐるのが精一杯で、死後の出版を見越した魂胆は微塵もない。
 自分の存在を書残したい願望は誰の心にもあることで、日記なり手紙なりに思のすべてを書きとめようとする努力は極めて自然なものであらうが、スタンダアルやメリメのやうに一家を成した小説家が、手紙の中でも存在を書残さうといふ意味がちよつと分らない時がある。メリメのやうなあまのぢやくは小説と違つた自分を手紙の中に用意して死後の効果を狙つたのかも知れない。彼等はその生涯作家であるよりも文学愛好者(アマトゥル)的態度を失はなかつた特異な文人でもあつたから、小説であれ手紙であれ、書かれるものすべてが一様に自己を語り自己を残したい願望のあらはれであつたのかも知れぬ。また元来が紅毛人は自己を主張する点では日本人ほど抑制力がない。従而その野心のあらはれも逞しいから、小説だけでこと足らず余剰勢力が手紙に及ぶといふことが有りうるのかも知れないし、他面セビニエ夫人等を指すところの手紙作家(エピストレエル)といふ特殊な名詞があるのでも分るとほり、日本人の手紙に比べるともともと紅毛人の手紙は一人に読ませるよりも万人に読ませる意識が強いのだ。サロンなぞで、貰つた手紙を公開し朗読するといふことが、普通行はれてゐたのかも知れない。尤も私の想像である。
 私は廿二歳の晩秋愈々頭が狂ひさうになつたのでいつ自殺してしまふのか自分でも見当がつかないと思はずにゐられなかつた。そこでその頃たつた一人の友達だつた山口といふ岸田国士門下の俳優の卵へあてゝ書置きめいた手紙を送つた覚えがある。死んだらこれこれのノートへ書きとめておいたものを機会のあるとき世へ出してくれといふ意味だつた。この山口といふ男は当時の私のたつた一人の友達だが(もう一人沢辺といふのがゐたがこれはほんとに発狂して巣鴨の保養院に入院中であつた――)私が日夜の妄想に悩み孤独を怖れて連日彼を訪れるものだから、彼は私の蒼白な顔とギラギラ底光りのする眼付に怯えて、突然夜逃げをしてしまつた。怖るべき孤独のまぎらす術を失つた私は彼の無情を憎んで、見つけ次第絞め殺してやらうといふ想念に苦しめられて弱つた。
 これは余談であるが、さて彼へ送つた書置き中の「これこれへ書きとめておいたもの」といふのは、其後になつて読んでみると一読滑稽でさへあるほど幼稚きはまりないもので、先年すべて八ツ裂きに破つて棄てた。あのとき死んであれだけが私であり書置きの通りれいれいしく世に現れたら滑稽な話であるが、こんな話で分るやうに、私の少年時代はただ我武者羅に自分の生命力を意識すること、また存在…

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