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女占師の前にて
おんなうらないしのまえにて
作品ID42997
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 02」 筑摩書房
1999(平成11)年4月20日
初出「文学界 第五巻第一号」1938(昭和13)年1月1日
入力者tatsuki
校正者今井忠夫
公開 / 更新2006-01-19 / 2014-09-18
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

これは素朴な童話のつもりで読んでいただいても乃至は趣向
の足りない落語のつもりで読んでいただいてもかまひません


 私はあるとき牧野信一の家で長谷川といふ指紋の占を業とする人に私の指紋を見せたことがありました。私は彼のもとめに応じて私の左右の掌を交互に彼の面前に差出したまででありますが、君のもともとめられた牧野信一は神経的に眉を寄せ、いくらか顫えを帯びた小声で僕はさういふことは嫌ひなんだと誰にとなく呟いたりしたのち、結局座を立つて便所へ行つたりなど細工して、たうとう彼だけは見せなかつたやうでした。感性だけで生きてゐた牧野信一は予言のもつ不吉なものを捩ぢ伏せることに不得手で、赤裸な姿を看破せられる不安にも堪えがたかつたのでありませう。
 私とて占者の前に淡白では立ち得ませんが、赤裸な心情を看破せられること、または予言のもつ宿命的な暗影をもつた圧迫感を負担とするにはいくらか理知的でありすぎるやうです。恬として迷信に耳をかさぬかの面魂をひけらかしたがる私の性分にいくらか業を[#挿絵]やした菱山修三が、あるとき若干の皮肉をこめて、理知人ほど迷信的なものだといふアランの言葉を引用したのですが、私は一応暗にその真実は認めてはゐても、必ずしも彼の言葉に心を動かすものではありませんでした。理知人ほどやがて野性人たらざるを得ません。それのひとつの表れとしてまた迷信的たらざるを得ないことも自然ですが、本来迷信的であることと質に於て異るゆゑ、私はむしろかやうな場合我々の言葉の単純さと、そのはたらきが単純のために却つて行はれやすい魔術的な真実らしさを疎ましく思ふものであります。
 この二月来私が放浪の身をよせてゐる京都には二人の友達がゐるのですが、その年若い一人の友が訪れてきて、近代人の悪魔的な性格にのみ興をもつ(この表現は彼のものです)異色ある映画製作者がゐるが、そのひとつの作品を見物してみないかと誘ひました。その製作者や俳優の名は忘れましたが「生きてゐるモレア」といふ映画でした。まず当代の常識的な虚無をもつて性格とした極めて知性的な主役が、私がかつて行つた言動に類似のことを行つて万やむを得ぬ重い苦笑に心をさそひ、けれどもむしろ倦怠のみの時間のうちにやがて映画は終つてゐました。然しひとつの場面のみが暗処にうごめく何物かに似た幾分不快な感触を帯びて、やや忘れえぬ濁つた印象を残したのです。
 そこは料理店の食卓らしく思はれます。以下すべて印象ですから事実との相違はあるかも知れません。出版業者であるところの虚無家が一閨秀詩人と恋に落ち、その食卓に二人が坐つてゐるのです。女占師が這入つてきました。まづ閨秀詩人の手相をみてやがて二児の母たる宿命をつげ、次に男の掌を見たときには恰も憎むべきものを見たかのやうな敵意を視線にみなぎらし、つひに一語の予言すら語らずに、女に護身の首飾を無償で与へて…

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