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南風譜
なんぷうふ |
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作品ID | 42998 |
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副題 | ――牧野信一へ―― ――まきのしんいちへ―― |
著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 02」 筑摩書房 1999(平成11)年4月20日 |
初出 | 「若草 第一四巻第三号」1938(昭和13)年3月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 今井忠夫 |
公開 / 更新 | 2006-01-21 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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私は南の太陽をもとめて紀伊の旅にでたのです。友達の家の裏手の丘から、熊野灘が何よりもいい眺めでした。
このあたりは海外へ出稼ぎに行く風習があります。それゆゑ変哲もない漁村の炉端で、人々は香りの高い珈琲をすすり、時には椰子の実の菓子皿からカリフォルニヤの果物をつまみあげたりするのです。
友達の家に旅装をといて、浴室を出ようとすると、夕陽を浴びた廊下の角から私の方を視凝めてゐる女の鋭い視線を見ました。私の好きな可愛らしい魔物の眼でした。密林の虎の姿勢を思はせて、痺れるやうなノスタルジイに酔はすので、そのやうな眼をもつ人を私はいつも胸に包んでゐるのでした。
友達の顔を見ると、私はさつそく今見た話を伝へました。
「俺のうちには婆やと子供の女中のほかに女はゐないよ」友達は退屈しきつた顔付で語るのも物憂さうに背延びをしました。「君の見たのは、仏像だよ。会ひたけりや食事のあとで案内するが……」
私は思はず笑ひだしてしまつてゐました。
「仏像かね。俺はまた虎かと思つた」
しかし友達は私の浮いた心持にはとりあはず、にこりともせず夕陽を視凝めてゐるのでした。
食事のあと、友達は手燭をともして現れました。「物置には燈がないのだ」渡り廊下を通るとき、海風が、酔ひにほてつた私の顔を叩いてゐました。
仏像は物置の奥手に、埃のいつぱい積つた長持に、凭れるやうにして立つてゐました。木彫の地蔵でした。
私はかつてこのやうな地蔵を、鎌倉の国宝館と京都の博物館でのみ見た覚えがあります。これも恐らく鎌倉時代の作でせう。なんとまた女性的な、むしろ現実の女体には恐らく決して有りうべくもない情感と秘密に富んだ肢体でせうか。現実の快楽を禁じられた人々の脳裡には、妄想の翼によつて、妄想のみが達しうる特殊な現実が宿ります。その現実を夢とよぶ人もあるのでした。そしてそれらの人々の脳裡に宿つた現実に比べたなら、地上の快楽はなんとまた貧しく、秘密なく、あまつさへ幻滅に富むものでありませうか。ひたすら妄想に身を焼きこがした人々が、やがてこれらの仏像のやうに、汲めども尽きぬ快楽と秘密をたきこめた微妙な肉体を創りだすこともできるのでした。老齢なほ妄念の衰へを知らず、殺気をこめて鑿を揮ふ老僧を思ひ泛べずにゐられません。
私は、薄暗い手燭の燈に照しだされた木像の胸や腰や腕や頸のあまりにも生々しいみづみづしさに幾分不気味な重苦しさを覚えてゐました。やがて四囲の事情に反し仏像のみに積る埃のないことを見て、
「君は、毎日、これを眺めにここへくるのか」私は彼にたづねました。
「つい先頃まで書斎に置いたものなのだ」彼は私の疑惑を察して答へるのです。「散歩にでたり、空気銃をうつたり、硝子をこはしたり、ほつとくと勝手な悪戯をするのでね」そして彼ははじめていくらか打ち解けた笑ひ顔をみせたのです。
しかし私は彼が幾分私の…