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囲碁修業
いごしゅぎょう
作品ID43000
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 02」 筑摩書房
1999(平成11)年4月20日
初出「都新聞 第一八一八七~一八一八九号」1938(昭和13)年6月21日~23日
入力者tatsuki
校正者今井忠夫
公開 / 更新2006-01-21 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      (一)

 京都の伏見稲荷の近辺に上田食堂といふのがある。京阪電車の「稲荷」といふ停留場の西側出口に立つと、簡易食堂、定食十銭と書いて、露路の奥を指してゐる看板が見える。去年の秋から、その下へ、囲碁倶楽部といふ看板がふえた。僕が京都へ残して来た仕業である。看板の指し示す袋小路のどん底に、白昼もまつくらな簡易食堂があり、その二階が碁会所だつた。
 書きかけの長篇小説の原稿をふところに入れて、僕が京都へ行つたのは、去年の一月末日だつた。始め隠岐和一の嵐山の別宅へ行つたが、のち、隠岐の探してくれた伏見のしもたやの二階へ移つた。ここへ弁当の仕出しをしてくれたのが上田食堂で、やがて食堂の二階に空室があるからと云ふので、これは好都合とそこへ移つた。
 そのころ僕は田舎初段に井目置いて勝味のない手並であつた。食堂の親爺は、その僕に井目置いて、こみを百もらつて、勝てないのである。そのくせ碁が夫婦喧嘩の種になるほど大好きだ。好きこそ物の上手なれといふ諺が、物の見事に空理である。
 つれづれに、親爺と一局手合せしたのが運の尽きであつた。碁の達人が現れたといふので、夜になると親爺の碁敵がつめかけてくる。親爺の碁敵だから、推して知るべし。井中の蛙は僕だが、大海を忘れるよりも、かうなると徒然の娯しみが、却て苦痛だ。
 折から食堂の二階に空室ができた。元来旅館風につくられた建物で、会席には手頃なのである。得たりとばかり親爺を籠絡して、ここに碁会所を創設させた。碁会所なら多士済々、僕ひとりがこの連中の相手にならずにすむ筈である。あはよくば腕をみがいて、東京の連中に一泡吹かしてやらうといふ遠大な魂胆もある。
 毎晩つめかけて僕を悩ました連中のひとりに、関さんといふ好人物がゐた。昔はれつきとした酒屋の旦那だが、今は商売に失敗して、奥さんが林長二郎の家政婦になつて生計を立ててゐる。金さへ持つと、女が好きになる悪癖があつて、碁会所をやつてゐる最中にも、近所の怪しげな飲み屋の女中と別府へ心中にでかけて、ぼんやり帰つて来たりなどした愛すべき人物である。年は四十五歳。僕の眼鏡によつて、この人物を碁会所の席主といふ形にした。
 上田食堂の老夫婦は単純な好人物で忽ち人にだまされ易く、碁会所の番人を置くにしても、関さんが最適と睨んだのである。この眼鏡に狂ひはなかつた。関さん以外の人だつたら、きつともつれたに相違ない色々の事情が後々起きたのである。
 僕が宣伝ビラを書いた。
 とりあへず食堂のお客を動員して、十名ほど会員ができた。会員の顔ぶれは、祇園乙部見番のおつさん杉本さん。別荘の番人山口さん。京阪電車の運転手宇佐美さん。もと巡査の狭間さん。友禅の板場職人高野さん。等々。いづれも自分の店のやうな肩の入れ方で、お客や来たれと待ち構へたが、力量一頭地を抜いてゐるのが斯く云ふ僕で、席主の関さんが僕に六…

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