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生前身後の事
せいぜんしんごのこと
作品ID43062
著者中里 介山
文字遣い新字新仮名
底本 「中里介山全集第二十巻」 筑摩書房
1972(昭和47)年7月30日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-06-26 / 2014-09-18
長さの目安約 82 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 小生も本年数え年五十になった、少年時代には四十五十といえばもうとてもおじいさんのように思われたが、自分が経来って見るとその時分の子供心と大した変らない、ちっとも年をとった気にはなれない、故人の詩などを見ると四十五十になってそろそろ悲観しかけた調子が随分現われて来るけれども、余はちっとも自分では老いたりという気がしないのみならず、それからそれへと仕事が出て来てどうしてどうしてこれからが本当の仕事ではないか、と、思われる事ばかりだ、瘠我慢にいうのではない、自分は五十になって老いたりという気がしないのみか若いという気もしない、子供の時と特別に変ったようにも思われない、今の自分としては殆んど年齢を超越してしまっている。
 これは一つは自分が未だ嘗て家庭というものを持たず、自分の肉体の分身に対する愛情という経験が無いというのも一つの理由であるかもしれない、何れにしても自分はまだ死に直面しているという気分は毛頭ないけれども、ここに五十になった紀念の意味で少々死後のことを書いて置いて万々一の用心にし、心のこりを少しでも少なくして置きたいものと思うことは無用でもあるまい。
 利休が旺んな時代に、これも並び称された無量居士という隠士は死の直前に於て、それまでに書いた自分の筆蹟類をすっかり買い集めてそれを積み上げて火をつけて焼き亡ぼして往生したということだが、自分もそういうことが出来れば非常に幸だと思っているが、そういうことは出来ない、事と次第によっては死んだ後こそ愈々世間の口が煩さくなるようになるかも知れぬ、そこで文字に就いては死んだ後までも相当の心遣いを残して置かなければならないことは、さてさて業である。
 そこで自分は遺言のつもりで申し遺して置きたいことがある、文字についてばかりではない、自分の有形無形に遺される処のものに就いてここに少しばかり書いて置きたいものだ。

 第一 自分の著作は今も全部統一されているといってよろしいから、このままでいつまでも独立統一した出版所の手によって進行せしめて行きたい、それより来る収利については相当に分配して行きたいものだ、必ずしも親類身寄というものでなくてもよろしい、最もよく著者の著作を理解するものによりて保護存養せしめて貰って行けば結構だが、遠い将来のことは是非もないが、国家が著作権或は登録権を保護する限りそうして行って貰いたいものである。

 第二 著作に伴ういろいろの興行権は著者一代限り、如何なる事情ありとも他に許可しないこと、出版は直接に著作の精神を読んで貰うことが出来るが、興行複製となると著者の目のあたりの監督がない限り著作の精神とまるっきり変ったものが出来る憂いがあるから、これは出来得る限りの手段を尽して永久に謝絶禁断してしまいたい事。

 第三 余の蔵書遺物等はすべて大菩薩峠紀念館に永久に保存して貰うのが当然だがそれには…

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