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戦争論
せんそうろん
作品ID43143
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 07」 筑摩書房
1998(平成10)年8月20日
初出「人間喜劇 第一一号」イヴニングスター社、1948(昭和23)年10月1日
入力者tatsuki
校正者富田倫生
公開 / 更新2008-08-06 / 2014-09-21
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 戦争は人類に多くの利益をもたらしてくれた。それによって、民族や文化の交流も行われ、インドの因明がアリストテレスの論理学となり、スピロヘーテンパリーダと共にタバコが大西洋を渡って、やがて全世界を侵略し、兵器の考案にうながされて、科学と文明の進歩はすゝみ、ついに今日、人間は原子エネルギーを支配するに至ったのである。
 多くの流血と一家離散と流民窮乏の犠牲を賭けて、然し、今日に至るまで、戦争が我々にもたらした利益は大きい。その戦争のもたらした利益と、各々の歴史の時間に人々がうけた被害と、そのいずれが大であるか、歴史という非情の世界に於ては、むしろその利益が大であったと云うべきであろう。
 百年の時間の後に於ては、我々も亦、非情なる歴史のなかの一員とならざるを得ない。しからば、人類の歴史的な立場に於ては、我々が一身の安危のために戦争を咒い避けるということは、許さるべきではないだろう。したがって、私がこゝに戦争論を弁ずることは、一身の安危によって、戦争にインネンをつけるワケではない。
 すべて、物事には、限度というものがある。時速三百キロをだしうる自動車も、東京都内に於ては、三〇キロでしか走ることを許されない。人は誰しも殺人の能力があるが、故なき殺人は許されない。各々のエネルギーには使用の限界があり、いわば、この限界の発見が文化とか文明というものであって、エネルギーの発見自体は、直接それが文化や文明とよばるべきものではないのである。
 原子エネルギーとても、同じことで、その使用の限界が発見、確定せられて、はじめて文化の一員となりうるにすぎない。
 今日に至るまで、ただひとり戦争のみが、この限界をハミダス特権を専有し、人間はそのエネルギーの総量をあげて人を殺すことを許され、原子エネルギーもその全量の最も有効なるバクハツ力を発揮することを許され、祈られることができた。
 日本交通史に於て、カゴや馬や人力車の時代までは、その全力をもって走ることを許されたが、自動車の時代に至って、速力に制限を受けざるを得なかった。その全力がもたらす効能よりも、制限がもたらす効能の方がより大であり、文明にかなっているからである。
 戦争とても同じことで、一九四五年八月六日のバクダン以前の各種の兵器のエネルギーは、まだしも、その被害よりも、利益の方が、人類の歴史的立場に於ては、大であったと私は思う。
 試みに、見たまえ。わが日本に於ては、このサンタンたる敗北、この焼野原、そして群盗の時代にも拘らず、戦争によって受けた利益は、非情なる歴史的観察に於ては、被害以上となる筈である。
 徳川以来、否、記紀時代以来からわだかまる独尊性や鎖国性に、ともかく、はじめて、正しい窓をあける機会を得た。まだ機会を得たというだけで、正しい窓はあけられていないけれども、この一つだけでも、日本史最大の利益であったと私は…

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