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復員殺人事件
ふくいんさつじんじけん |
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作品ID | 43163 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 08」 筑摩書房 1998(平成10)年9月20日 |
初出 | 「座談 第三巻第六号~第七号、第四巻第一号~第三号」1949(昭和24)年8月1日~9月1日、1950(昭和25)年1月1日~3月1日(未完) |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 北川松生 |
公開 / 更新 | 2016-07-21 / 2016-07-12 |
長さの目安 | 約 197 ページ(500字/頁で計算) |
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登場人物
倉田由之 倉田家の当主。もと武道教師。今、漁場土建ボス。
同 公一 由之の長子。昭和十七年轢死。
同 由子 公一の妻。
同 仁一 公一の子。昭和十七年公一と共に轢死。
同 安彦 由之の次男。現代版丹下左膳となって復員。
同 定夫 由之の三男。バンタム級新人王。
同 美津子 由之の次女。
定夫に電話をかけた女 (後に名前も現れます)
滝沢三次郎 由之の秘書。倉田家に同居。
同 起久子 由之の長女。三次郎と結婚。三歳の幼児あり。
杉本重吉 下男。中学時代、由之の武道の弟子。後、朝鮮にて巡査。邪教にこって日本へもどり、倉田家の下男になる。
同 モト その妻。倉田家の女中。
同 久七 その長男。夜釣りを業とす。
同 スミ その長女。倉田家の女中。
第一章 拳闘新人王とその妹
終戦の年から二度目の八月十五日を迎え、やがて秋風の立つ季節になった。
その暮方、私はちょうど小説を脱稿したので、久し振りに巨勢博士の探偵事務所を訪ねた。そこは有楽町駅に近いビルの一室で、私の行きつけの裏口飲み屋に目と鼻のところであるから、博士を誘って一杯飲もうと思ったのである。
もとより遠慮のない間柄であるから、なんの訪いもなく勝手に扉をあけてはいって行くと、若い青年と、若い婦人の先客がいて、何やら用談の気配である。遠慮のない間柄とは云っても探偵事務所のことであるから、そこにはおのずから節度がなければならない。
「ヤア、失礼々々」
と、私が逃げだしかけるのを博士がよびとめて、
「いえ、もう、話が終ったところですから、いゝのです。先生、これから、パイ一でしょう? アハハ。探偵商売だもの、分りまさア。せっかくのカモがきてお誘い下さるというのに、これを逃がしちゃ、当節、たった一つの胃袋が持たないや。胃袋というものは神経のこまかいもので、ヒステリー、鬱病、ひょッとすると分裂病なども、このへんから起きてくるのかも知れませんぜ」
博士はパイプをくゆらしてニヤニヤした。巨勢博士がホンモノの博士でないのは先刻不連続殺人事件で御紹介ずみのところであるが、まだ三十そこそこの若僧、むかし私に弟子入りしたことがあるから、私を先生などゝよぶが、小説など書いたことはない。不連続殺人事件で一躍名をあげたから、探偵事務所などをやりだしたが、実はヤミ屋事務所かも知れず、この博士のやることは見当がつかないのである。
なるほど二人の訪客は、まさしく話が終って、すでに帰り仕度をとゝのえ終ったところに相違ない。そのくせ、二人とも、煮えきらなくモジモジして、私が室内へはいり、椅子にかけても、私の存在には関係のない別のことで、困惑しきっている様子であった。
「どうしても、あれがホンモノの兄貴なのかなア。ホンモノだとすると、だいたい丹下左膳という奴は、バッタバッタと右に左に人を殺しやがるもんで、油…